さ-くる同窓生「一種、地下大学の趣」グラビア対談中島誠vs土本典昭 『週刊読売』 2月23日号 読売新聞社 <1992年(平4)>
さ-くる同窓生「一種、地下大学の趣」グラビア対談中島誠vs土本典昭 『週刊読売』 2月23日号 読売新聞社

中島 昔の文学部はこの高田牧舎の向かいにあって、その地下に社研とかソビエト研、民科といわれた民主科学者研究会とか、共産党総細胞の息のかかったサークルがたむろしていたなんて、今の学生には想像もつかないだろうね。

土本 細胞員が、早稲田だけで数百人もいたということもな。総合文化研も共産党の党派闘争の所産だ。

中島 一九五〇年の党分裂か。社研やソビエト研など主だったところが主流派になって、われわれ反主流派としても一つサークルをもとうというのがきっかけだ。

土本 八畳ぐらいの、あのしめっほい地下の部室に出隆、古在由重、服部之総、井上清、平野義太郎、石堂清倫といった人を講師に招いて、経済、哲学、歴史、革命論などを論じ合った。

中島 右母田正さんも来たな。総合という、ネームは、当時ではわりとセンスがあるよ。学問の枠にとらわれず、今でいえば学際的なアプローチをしていた。一種、地下大学の趣があった。

土本 朝から晩まで地下室で、革命だコミンテルンだ、毛沢東だと気炎をあげていた。しかし、食えなかったな。新宿のボルガに五、六人で行って、ヤキトリを二本しか頼まない。そのタレを、ポケットにしのばせてきたコッペパンにつけて食べていたよ。