水俣病の現在としての「記録と祈り」の意味「水俣からのメッセージ」 「ブエノスアイレスの環境サミット パンフレット」 8月10日脱稿 水俣病センター相思社
私が記録映画作家として水俣病映画の十六本の連作に半生を賭けるきっかけになったのは、水俣病発生から十年を経て、胎児性患者が水俣病の最大の悲劇として知られ始めた1965年、熊本の「熊本日日新聞」(ローカル紙)の紹介記事を読んだことからだ。その触発で作ったのはTV映画『水俣の子は生きている』(1965)である。描いた胎児性患者らはまだ七・八才の幼児期だった。それから三十年余、かれらは今、人生の折り返し点というべき四十五才前後になっている。その彼等と付き合い、水俣病事件の敗北、行き詰まり、医学、政治による相次ぐ社会的抑圧を暴露する映画・TVを手掛けるうち、あっという間に、16本の映画・TVを作ったことになる。
これは通常“異例”と思われ勝ちだが、この間、その都度、記録すべきテーマが連続して生起したからである。
最初は問題提起とその即戦性を意図して作ったが、同時に普遍的な訴えを重視し、作品ごとに一工夫しながら作った。そのためか水俣病の記録映画の存在は知られ、この会議にも持参される『水俣から世界へのメッセージ』などの世界に伝達される映画作品もつくることができた。映画の世界への発信が可能になった。が、まだ不十分である。その証拠に私の水俣病紹介映画はこの会議でも十分その役割を発揮するかどうかは未知数であろう。
「記憶は力なり」とは私たちドキュメンタリストの第一義の思想であろう。映画の歴史は百年余とまだ若い。しかし、フィルム・テレビの発達はほぼ数百年の保存に耐えるものになった。百年保障付きフィルムの開発やデジタル・ビデオがそれである。それらが映像による記憶を半永久にした。これらは水俣の映画に着手した頃には予想もしなかったことである。
さらに私が取材の35年で“公害の原点”の水俣病被害者は予想を超えた生命力を発揮す…それをしかと、この目で見たことである。
いまも病苦に耐えつつ、現役として海に関わる患者ほど生命力が強く、その人生観が実は秘められた哲学にまで昇華している。所謂、職業的“哲学者”(私もその一人)は顔色を失うだろう。これは公害被害者の苦難の末に発せられた宗教的なまでの言葉々々である。それを私は“水俣からのスピリチュアル”と呼んでいる。別の表現としては“祈り”であろう。これにぜひ耳を傾けてほしい。それらを私はひろく“水俣からのメッセージ”と言わせてもらいたい。
多くの運動者は“いのちの危機”を訴える。つまり彼等は所謂カナリヤ予知者としての影を読取り、人間の類的破滅を警告している。事実多くの死者の続出期にはその警告の証しとされ、語られる。しかし慢性的被害者はすぐに“証し”にはならない。
「死んでたまるか!」と必死に生き続ける彼等。そして「現代の医学では治らない」とされて水俣病の病状に抗し、あらがいながらそれぞれの工夫で“生きる”のである。そしてそれらの患者に共通している仏教、アニミズムといったそれぞれに様々な“祈り”なのである。
海の生命のもつ治癒力や、魚や小動物、植物の復元力を信じ、それに励まされて、“祈り”を自分に課する…それが水俣の現在の患者の精神世界なのである。不可視の世界ゆえ、私の映画の実写力ではうまく撮影できない。ならば、私もカメラを置いてまずは祈るしかないからだ。それを私は「記憶と祈り」水俣と思っている(2001,8,10)