映画同人「シネ・アソシエ」の創設まで 『ドキュメンタリー映画のメールマガジンNEO』 39号 8月20日脱稿 読売テレビ <2002年(平14)>
 映画同人「シネ・アソシエ」の創設まで 『ドキュメンタリー映画のメールマガジンNEO』 39号 8月20日脱稿 読売テレビ

 <シネ・アソシエの前史-1990年代のフリー活動> (文中敬称略)
 小生、1928年生れ。映画生活、四十六年を閲した。この間、岩波映画で特別嘱託で契約した一年を除き、フリーで気ままに映画を作ってきた。その間、“専属意識”で働いたのは製作者高木隆太郎の『青林舎』時代のみである。彼の辞任(85年)後、『青林舎』の運動者意識は格段に低下する。小生、この 8月をもって『青林舎』の株主も辞し、『水俣シリーズ』の“演出人格権”は残し退く。この際付言すれば『青林舎』の後継と目されている『シグロ』とは映画運動としての関係性は共有していない。

 <『シグロ』企画の90年代のTV作品>…私の映画にとっての“失われた90年代”?
 この間、下記、TV作品を『シグロ』制作(全てプロデューサー山上徹二郎)で放映. NHK・ETV特集
*94年『存亡の海オホーツク- 8mm旅日記』(二夜連続。演出構成・土本典昭。撮影、大津幸四郎。ふたりだけの自主取材。 NHK初の全編 8mmビデオ作品となる)
*96年『記録する事の意味』( 120分…クロード・ランズマンとの対話。構成・若月治)
*97年『日高六郎“対論・戦後民主主義”』(二夜連続。編集・土本、構成・小池征人)
*99年 4月、長編映画『川本輝夫と緒方正人』(製作・山上徹二郎)が企画される。しかし、土本の“病状危惧”を理由に製作を打ち切られる、以後二年、療養生活風の日々。
*02年 4月18日、『シグロ』山上徹二郎より『よみがえれ~』の未使用KEEPネガと原録音テープ類(約45%未発見、探索中)の所有権を委譲と連絡あり。(但しKEEPしていた筈のポジ・編集用音テープは全て破棄済みと判明)。新たなネガ現像は当方負担と決める。
 <90年代の“私家版”ほか>…『土本仕事部屋』と称し、下記を自主製作・発表する。
*94~95年、水俣東京展の遺影展示の収集の為、助手兼妻の基子と一年間水俣住いで“五百柱”を各遺族宅で訪ね、写真接写。96年 9月の品川・水俣東京展以来、水俣の『水俣病展』を含め全国十三都市で巡回“遺影展示”(八万四千人動員-02年 8月現在)。
*その間“私家版”として…『仕事部屋』の器材で可能な映像作りに徹する。費用僅少。
*96年のVTR『遺影集めの水俣日記』( 115分、土本典昭・基子)…現在 DVD化検討中。
*99年のVTR『回想川本輝夫-ミナマタ、井戸を掘った人』(42分、土本典昭・基子・ 丸岡秀樹)。うちVTR『回想川本輝夫~』は約 700本需要あり、現在も頒布中。
*2002年 7月、『土本仕事部屋』を『シネ・アソシエ』(仏語で“映画同人”)と改称。 
 <2002年、前記アフガン関係のネガより、“私家版”の『資料映像』の作成を開始>
*第一作『カーブル国立博物館-1988年11月』(25分)。このVTRを世界的考古学者Z・タルジ・元アフガニスタン考古学研究所長の来日時に贈呈。「研究、運動、およびア フガニスタン国内では自由に使用可/TVなどメディアの場合は“版権”あり」とする。
*第二作のラッシュフィルム『1985年、人民民主党政権下のカーブル市民たち』(仮題)を中野ゼロ『8,15有事法制反対集会』で公開(活弁で解説)。“世界初”と標記する。
*目下、1988年の博物館撮影時に懇請された『アフガン至宝の絵葉書』を準備中。以上。