水俣病忘れさせない「顔」452枚 『朝日新聞』 10月26日付 朝日新聞社
一年間、熊本県水俣市に滞在して、亡くなった水俣病患者の遺影を集めてきた記録映画監督の土本典昭さん(六六)が二十七日、東京に戻る。今年五月末で千百七十四人とされる熊本・鹿児島県の死亡患者のうち、名前の分かったのが八百九十二人、遺族の承諾を得て撮影できた遺影は四百五十二点だった。一人ひとりの肖像写真は、水俣病公式発見四十年の鎮魂の思いを込めて、来年秋の「水俣・東京展」に展示される。
遺影展示を思い立ったとき、土本さんは物故者の名簿は当然そろっていると思っていた。「二カ月もあれば準備は終わる」つもりで昨年十一月四日に水俣入りして初めて、大きな錯覚だったことを知った。
全体の名簿は加害企業のチッソにしか存在せず「プライバシー」を盾に、閲覧を断られた。関係住民の分を把握している自治体も同様。まったく把握していない自治体もあった。
助手の青木基子さん(四七)と二人で、まず名簿をつくるところからのスタートだった。「患者団体で分かる分以外は、地元紙のスクラップブックをコピーし、死者の名前を割り出し、住宅地図に落としていく。それだけで作業の半分を占めた」と土本さん。
並行して、不知火海の沿岸を集落ごとに回った。趣旨を説明し、不在の場合は書き置きを残して二度、三度と足を運んだ。訪ねた家で「あそこも水俣病で死になさった」と教えられたケースも多かった。
許可を得ると、まず仏壇に手を合わせ、額に入れられた遺影を下ろして、35ミリカメラで撮影した。断られた場合などは、近くの風景を撮ってきた。
撮影できたのが四百五十二人、断られたのが百六十二人、撮影不能や手をつけられなかったのが二百七十八人。使った車の走行距離は七千キロ超えた。
「東京展」は来年九月二十八日から十六日間、東京の品川駅近くで開催される予定。その一角に、土本さんの撮った遺影と風景七百枚以上を死亡年月日順に並べた「記憶といのり」のブースが設けられる。
土本さんは「人は忘れられたときが二度目の死だというが、今度の調査でも七五%しか突き止められなかった。鎮魂のためにはまず記録が必要だ。名簿も遺影もない現状に一石を投じるきっかけになれば」と話している。