胎児性水俣病患者ら洋上ツアー 『熊本日々新聞』 5/23 熊本日々新聞社 <1999年(平11)>
 胎児性水俣病患者ら洋上ツアー 『熊本日々新聞』 5/23 熊本日々新聞社

 水俣病の胎児性患者ら九人と故川本輝夫さんの妻ミヤ子さん(ハ八)らの一行・二十六人が、十八日から十九日、宮崎-東京(川崎港)間を大型フェリーで旅した。記録映画作家の土本典昭さん(70)=東京在住=が「川本輝夫記念・洋上ツアー」と題し企画した二十三時間の航路は、それぞれの思いを運ぶ旅になった。
 土本さんの思いが、この旅の始まりだった。ひとつは、二月に亡くなった川本輝夫さんへの哀惜。そして、胎児性患者への思い。土本さんには四十一歳の娘がいる。「自分の娘と同年代の彼らのために、何かをやりたい」。川本さんの死後、水俣に入った土本さんの思いは募り、ツアーは実現した。
 出港は、雨になった。船は激しく揺れ続けた。翌日の午後一時。船酔いから回復した十三人が、船内の映写室に集まった。漁村の風景、チッソの工場のサイレン、市民病院の入院患者…暗い室内に昭和四十年の水俣が次々に浮かんでいく。土木さんの最初の作品「水俣の子は生きている」。車いすで参加した胎児性患者ら数人がスクリーンに幼い自分の姿を見た。
 「まいったなー」。映画を見終えた患者の栄一さん(四六)がつぶやく。「いろんな事を思い出して涙が出てきた」。
 栄一さんは一次訴訟の原告団長だった故渡辺栄蔵さんの孫。胎児性の弟政秋さん(四〇)とともにこのツアーに参加した。渡辺一家は家族ぐるみ発症の典型だ。父保さんは既に死亡。兄弟を支えてきた母マツさんも今年七十一歳になった。今は足の弱ったマツさんを、逆に栄一さんが支えている。
 夜、船は静かに東京湾に着いた。都内へ向かう一行を乗せたバスが走り始めた時、不意に、ミヤ子さんと同行の女性たちが慌て出した。遠ざかろうとする岸壁に向かって、バスの窓から、何かが飛んだ。「お父さんの代わりに、海に飲ませたの」。輝夫さんのことを「お父さん」と呼ぶ女性が投げたのは、ワンカップのしょうちゅうだった。患者運動のリーダーだった輝夫さんにとって、「東京」は闘いの場だった。その海に酒をたむけるのは、共同体の女性たちにとってあたりまえの「父ちゃん」への弔いだった。ミヤ子さんは、輝夫さんの写真をペンダントにして肌身離さず持ち歩いている。
 高齢化する親と胎児性患者-。川本さんは生前「水俣病は、最後は福祉の問題に行き着く」と語っていたという。「みんなで行動した体験は、きっと何かに生かされる」。支援者の一人は旅の終わりを、そう振り返った。