随時連載『映画は生きものの仕事である』(7) 雲南省昆明市、映画の夜明けのくに(・) 『ドキュメンタリー映画のメールマガジンneoneo』 4月25日号 ビジュアル・トラックス
まず初めにお詫びしたいことがある。“随時連載”とは言え、“連載”と銘打ちながら長く休筆させていただいた事である。それというのも、酷いスランプに陥ったからだ。その理由はふたつあったように思う。一つは禁煙による集中力の喪失だ。戦後の十七歳から獄中の数か月を除いて、五十八年間、ヘビースモーカーであったものが、依存を絶った報いは予想していたとはいえ激しかった。
去年の七月七日、七夕を期して禁煙したのだが、物を書こうにも脳が纏まらない。それが鬱状態と絡んで、揚げ句のはてに自分の映画を語ることにさえ嫌気がさしたのである。去年は台湾、ソウル、北京と映画祭が重なった。原稿書きもあった。それにしても自分を吐き出す事ばかり。去年の「土本典昭フィルモグラフィー展」然り、また、一年続いた伏屋博雄と藤原敏史らによるビデオ・インタビュー『土本典昭』の取材も然りだ。インプットなくして、専らアウトプットばかりであった。嫌気とは、別の言い方をすれば、自分の映画歴半世紀に付き合うことにホトホト倦んだし、鬱と糖尿病の特有の無気力症状に陥りぱなし、禁煙二か月、そのつらさのピークの九月に北京行きとなったのだ。
正直な話、このドキュメンタリー映画祭行きは、出来ればキャンセルしたかった。事実、北京に滞在中、シンポジウムなどに出席するほかは殆どホテルで寝ていた。時に出張マッサージにかかったり、食欲不振で粥ばかり注文したり、妻のみか、同行の山形国際ドキュメンタリー映画祭の矢野和之、藤岡朝子、批評家の村山匡一郎の各氏にまで心配をかけた。
ドキュメンタリーの討論の場は予めセットされていた。中国中央電視台(CCTV)のスタッフ集団や映画大学の生徒、関係者などとの二回のシンポジウムだ。辛うじて研究会的な雰囲気で語れたと思うが、それにしても半病人で、介添え役の妻と二人分の経費を負担させながら申し訳ない次第だった。
その反省もあって、この度、三月下旬の雲南省昆明での映像フォーラム、正式には「第二回雲之南人類学映像展」には事前の準備を心がけた。日課の散歩から特別の体操、冷温浴など、西式健康法によって体調の回復にこれ努め、さらにニコチン依存も幾分脱して、最良のコンディションで昆明行きに臨んだ。
実はこの昆明行きは昨年の北京の映画祭の最終日に、この映画祭のメンバーでもある昆明の映画作家、和淵(ヘ ユエン)さんに告げられて決まったものだ。彼は後述するように雲南の映画運動の中心人物でもあった。「ああ、あの昆明に行けるのか」と合点した。それというのも、昆明については、北京に出発する前に読んだ山形国際ドキュメンタリー映画祭実行委員会発行のDOCUMENTARY BOX(04,5,10)に載った藤岡朝子さんのレポート『雲の南のドキュメンタリー事情』によって、漠然とではあったが雲南省昆明について、「南の辺境にある映画の夜明けのくに」といったイメージが植え付けられていたからである。
これは山形の映画祭実行委員会で培った新しい映画感覚を持つ、彼女のような“新人類”でなければ書けない類いのレポートだった。その昆明の作品と作家の知見も抜群ながら、昆明を例にして中国の新しいドキュメンタリーの台頭への分析を例証的に示唆していた。随所にシンボリックでさえある文章だった。その愛情と知性、運動への初心と艶やかな表現には感心した。そして何より、中国の劇映画が文化の中心地の北京や上海だけではなく、第五世代と言われる中国映画の変革が古都の西安から生まれたように、ドキュメンタリーのうねりが辺境・雲南省昆明から生まれつつあることを詳述していて、いわば“ドキュメンタリーのくにの誕生”記でもあった。
この昆明の記録の書き出しは小川紳介賞で知られた呉文光のエピソードからだ。それにしても、なぜ昆明からドキュメンタリーの運動が芽生えてきたのか、そこが知りたかった。呉文光に続く人材の継起性があるのだろうか。
呉文光は昆明のテレビ局で技術を習得し、やがて、北京で『流浪北京:最後の夢想家たち』(1990)や『私の紅衛兵時代』(1993)を作り、中国のニュー・ドキュメンタリーのリーダーになった。その存在感は大きい。
彼の勇ましい個性に触れたのは1999年、山形でのヨリス・イベンス特集の時、同席したシンポジウムでだった。ヨ-リス・イベンスの作品のすべてが俎上に出され、イベンス夫人で記録映画作家のセリーヌ・ロリダンが共同監督の作品を、故人に替わって解説し、質問に答えていた。話題が夫妻の中国ロケの作品に及んだとき、呉文光は文化大革命時代の記録『愚公山を移す』を念頭に批判を隠さなかった。確信があっての事であろうが、いわば無防備のロリダンに対する、彼のストレートな物言いには私はカチンときたものだ。
この『愚公山を移す』五部作は彼女の得意とする同時録音手法で、中国の文化大革命時代の社会の細部を描いたものだ。ナレーションより人びとのなまの声を生かした作り方だが、そこに選ばれて登場する対象、その人びとの言動には文化大革命への共鳴があって当然だろう。この偉大な作家が文化大革命の採録のシーンを借りて、シネマベリテらしい方法を滲ませていたのだが、呉文光には通じなかった。つまり“作品の大括弧”として、文化大革命に 肯定的である事自体が承服し難かったようだ。セリーヌ・ロリダンが当時の中国当局の彼等への理解と厚遇への謝辞をのべたくだりで、呉文光はキレた。「中国の当時の指導者はあなた方をそのように遇したかもしれないが、中国の民衆がそのようにあなた方を遇したのではなかろう」と。つまり、あの時代の主流の思想、文化大革命ベッタリの作り方、その登場人物の“中国民衆像”には同意しないという批判であったろう。
当時の私ならどうしたろう。多分、文化大革命賛同の側にいたから、ヨーリス・イベンス夫妻と同じ誤りに陥ったかもしれない。呉文光の隣席にいて、私は手に汗を握ったものだ。
ロリダンは彼の問責にたじろぎながらも、身を捩りながら答えた。「作家にとってはどの作品も自分の生んだ“子供”のようなもので、例え不出来であろうと、すべての作品は子供なのです」と。それはいわば“賢問愚答”の見本のようなやりとりだった。その苦い記憶が今も残っている。また呉文光のいかにも90年代作家らしい客気を見た気がした。
彼は確かに山形国際ドキュメンタリー映画祭の見出だしたヒーローと言えた。1989年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の第一回当時は呉文光らの存在は見えていなかった。むしろ小川紳介が「どうしてアジアにドキュメンタリーが生まれないのか?」と挑発的に設問したほど、アジアのドキュメンタリー作家は寥々たるものだった。
その二年後に登場した彼の『流浪北京:最後の夢想家たち』は耳目を引いたが、ビデオ作品であったために、映画祭のコンペの対象作品にはならなかった。1999年以降、ビデオ作品は映画と同格になって、以来、どっと作品がアジア、とくに中国、台湾、韓国などに続生してきた。その流れのなかで昆明での「第二回雲之南人類学映像展」が開催され、それに参加することになったのである。
昨年春の藤岡朝子さんのレポートに早くも昆明の映画運動が特記されていた。
それにしても、なぜ昆明にドキュメンタリーの芽があるのか。それが私の今回の興味だった。中央ではない所から異色の文化が生まれるというのには理屈抜きに解る。反中央意識のしからしめる所であるが、雲南が少数民族の色濃い国境の山岳地帯であり、ミヤンマ、タイと古くからのルートがあるだけに中国には距離感がある。むしろ東南アジア的だ。そこでの映画運動の進展は全アジア的な広がりを持つものになるであろう。
秘境・雲南省へは、大津幸四郎によればすでに70年代、牛山純一の『世界旅行シリーズ』でたびたび取材に行ったという。それが昨今では、「瀘沽湖畔(少数民族地域の景勝地)に一年いれば、 100隊のロケ撮影チームに出くわすとの笑い話もある」(前記『雲の南のドキュメンタリー事情』)という。現在、昆明の映画人は山地の人びとを、努めて”少数民族”とは言わず、“源生民族”と呼ぶ。いかにもネイティブに相応しい呼び方に思える。そこには意識的に差別を克服するかのような響きがある。雲南省のなかに26の源生民族があり、その総人口は省全体の十分の一ほどという。歴史的に圧倒的な漢族、中国語族の支配され、どんな矛盾を味わったかは知らない。ただチベット族と中国の現体制との矛盾から類推するほかない。
雲南省の少数民族の映像記録はこれからの問題であろう。だが映画の取材の殺到ぶりは前記の笑い話に伺える。今回、中国の映画・テレビ作家たちが雲南省に於ける都市と山地の貧富の差をいかに直視するか、伝統的に伝えられてきた固有な文化の継承をどうするか、つまり雲南省の階層の矛盾、社会の問題、環境破壊まどをどうドキュメンタリーするのかはそれらと離れて語れないであろう。
すでに内外の観光的な秘境取材によって、「ただでは撮るな」と、金銭の報酬を求めるようになった先住民の様子をユーモラスに描いたドキュメンタリーが雲南テレビで作られている(藤岡朝子、前出レポート)。いわば特権的なテレビ製作者のもたらした風潮への内省的な取り組みが見られるという。ドキュメンタリーを社会の進歩と変革に役立たせるといった思念が、矛盾に満ちたこの世界には生きて行くであろう。
今回はこの第二回・雲之南人類学映像展(回顧展セクション)に関わっている日本人作家は四人である。作品について挙げれば、小川紳介の『三里塚の夏』、『三里塚;第二砦の人びと』、『千年刻みの日時計』の三作、森達也の『A』、それにイメージ・フォーラムでの受賞作を携えて参加した白川敏弘の『Now,Where,To? 』である。日本での推挙作品もあろうが、私の作品はオルグの和淵(ヘ ユエン)さんの意見も加えて選んだようだ。そうした選ばれ方にこの雲之南人類学映像展のポリシーを感じた。
すでに北京で上映された『ドキュメント路上』(64年)、『水俣:患者さんとその世界』( 71年) が選ばれたのは分るあが、最新作のビデオ作品『みなまた日記:甦える魂を訪ねて』はいわば代表作ではない。私の水俣シリーズは十七作、数本の上映に限られた場合、通常『水俣~』に『不知火海』や『医学としての水俣病』などが組み合わされるのだが、今回はビデオ作品で、ほとんど個人作品といえる『みなまた日記;甦える魂を訪ねて』が選ばれた。選ばれた当の本人が意外だった。「なるほど、水俣映画の初期作品と、飛んで30数年後の最新作と並べて見るということか」と思った。しかし、私の今日風のビデオ作品が敢えてここ昆明で上映される意味は何だろう。連れ合いの基子と二人で撮影と録音をこなしたいわば“手作り”製作が、参考作品として選ばれたのかも知れない。つまり、ナウな話なのだ。ここに集まった若い人びとから見れば、祖父世代の作家が、彼等と全く同じ撮影技術で作品を作っていることを面白がったのではなかろうか。それなら話すことは一杯あると思う。
さらに年代的に最も初期の『ドキュメント路上』を選んだのは、そこから何を得ようとしているのか。今の中国の作家を見る上でも興味がある。それは北京の上映体験から想像がついた。映画史百年余、この映画は四十年前で、いわば古典扱いされている作品だ。
この『路上:On The ROAD』は映画先進国の欧米でも興味をもたれる。一昨年のアメリカの第49回フラハティ・ゼミの場合もそうだ。「これは社会問題の映画か、実験映画か。あるいは分類できない突き抜けた映画か」と映画作家たちがドキュメンタリー映画論を闘わせ易い格好の素材として観られた。女性監督バーバラ・ハマーなどは「カメラはジガベルトフ以来だ」などと映画史まで持ち出すのだが、その映画の本来の使命に触れたものではない。社会基盤の整備は完了し、もうあの錯乱した道路のアナーキーな風景は克服されたというのだろうか。
しかし中国や東アジアなど発展途上国ではあきらかに違った。昨年秋の場合、北京の国営CCTVの作家や映画志望の青年・学生、批評家たちのこの映画についての批評は社会的であり、あくまで今日のアクチュアルな映画表現として受け取ったようだ。その東西世界の違い、アジアと欧米のそれははっきりしていた。
いま、中国には未曾有の交通戦争時代が到来して来ている。『ドキュメント路上』は、それをこの中国の現実に当て嵌めてみることができると考える…。しかもこの映画が東京オリンピックでの追い込み工事で混乱を避けられなかった40年前の事情と、数年後に北京オリンピックを控え、急いで道路整備と市街の近代化に驀進している北京、その“路上”を重ね併せて見ている。「人間の住む街の人間の生きる路上」、そうした人間中心のイメージとしてこの映画を見ているのだった。『ドキュメント路上』は珍しい風景はない。見知ったものばかり、とくに何の起伏もない話ながら、その映像によってドラマを内発される…そうした力強い鈴木達夫のカメラワークには誰しも魅了された。
辺境の昆明でも「この二年で自家用車は爆発的に増えたから、まさに『路上』そっくりだ」という。私は昆明市の風景を見たくて、好んで助手席に座ったが、車優先、歩行者無視の運転ぶりに、何度無意識にブレーキを踏む癖が出た。映画のシーンとまさに瓜ふたつの現実だった。後に合評で出たように「今の中国は30年前の日本の矛盾そのままだ。もっと酷くなるだろう」といった声がでるのだった。もうかつてのように人間の流れが道路を悠然と支配する光景はない。
本題の旅のレポートに先立って一回分を前置きとして書いた。次回から私は中国での映画行脚を何度でも反芻して見たいと思う。短い旅だったが、この旅の前に私は頭と気持の整理にかなりの時間を費やした。冒頭に述べたように、去年の北京・ソウルなどの映画祭では私は半病人に等しかった。ドキュメンタリーの経験交流という所与の目的を果たせなかった。
その回復のためのトレーニングに、近刊の土本典昭フィルモグラフィーのまとめ『ドキュメンタリーとは何か』(現代書館)の本の後書きを進んで書いた。出発前日ギリギリに書きあげた。それは中国再訪のエネルギーのパン種にするつもりで、それをベースに、そして優れた通訳者のたすけを借りて。中国の作家たち、映画青年たちと語ってきた。そのことを次号から書かせてもらいたい。
この昆明の学生街は私にとって若き日、「青の会」で上気した日々を送った新宿・歌舞伎町と変らなかった。錯覚にせよ、映画青年の気分に立ち返らせてくれた。これからそんな気分で、“映画の旅日記”を書かせて貰いたい。
05,4,27