イラク派兵反対メッセージ 週刊『金曜日』 2004,8,20 520号
―今夏のイベントでは、土本さんの全作品が上映されています。
今回、この上映会を企画された若いみなさんは、ぼくの映画を通じ、一介の日本の「映画青年」が、五〇年間、どういう道を辿って「映画老年」に至ったのか、そしてぼくの撮った映画そのものが、世界のドキュメンタリーの中で、いま、どんな位置づけにあり、またこれらの作品がどんな形で作られてきたのか、そんなことを、この際、順を追って振り返ってみたい、と思われたのではないでしょうか。
ぼくの映画の中には、あまり世に知られてはいませんが、西側世界として撮るのは初めてとなったシベリアの映画や、世界のほとんどのメディアがまだ入ったことのなかった、当時のアフガニスタンの映画なども含まれています。
ぼくが追い続けてきた「水俣」に関する流れだけではなく、もう一つ、ぼくが「世界を知りたい」、という気持ちで動いてきたこの約五〇年が包括されていると思います。
-水俣病”発見”からも約五〇年です。
日本はどう変わりましたか。
水俣のことでね、ぼくは国は本当に責任をとろうとしない、と思いますけれども、しかしこの教訓を生かそうとする人々の努力はとても大きかったと思いますよ。水俣の人の悲劇によって、人々は、この人類全体の文明社会と表裏一体にある、非常に悲劇的な、マイナスの文明に対する戒めを知り得たわけですからね。ぼく自身は、水俣病の患者さんを取り巻く状況の、一番ひどい時期から10年ぐらいの考え方というのは、「水俣はもう前のような形には蘇らないだろう」というものでした。
チッソも水俣から去るだろうし、人々の生活も壊れるであろうし、本当に水俣は滅びていく街になるだろう、と、そういうふうには一度も映画の中では描きませんでしたが、そういうことがぼくの心の中にはありました。
けれど、「明日がない」というような悲しい事件に、人間が遭おうとも、そこの自然と人とのつながりが失われない限りは、やはり人も自然も蘇ってくるものだ、ということをつくづく思いましたね。
考えてみると、そこに生きてる人は、その街から離れられないわけですよ。その海が好きですし、その海で生きていくし、やはり彼らの眼には魚や貝が戻ってきたりする自然の蘇りは見えますからね。そしてまた水俣の人たち自身が、そうした生活の中で、生命の蘇りを確かめながら生きる、という生き様をまざまざとぽくたちに見せてくれるのですね。これにはまったく感心いたしましたね。
―ところで、現在の日本の動きについては、どう思われますか。
まず、小泉首相は、とんでもない首相だと思いますね。彼の言動を見ていると、まったく日本の歴史を美化し、頭から信じてならない、戦前の青年将校を思います。アジアの視点に立って日本の歴史を考えるとか、第三世界の人々の眼を借りて、日本を眺めるとかね、そういう訓練を一度もしたことのない人なのではないでしょうか。
また、日本の将来を担う若者たちについてて言いえば、この間、イラクで人質となった方々ではないですが、アフガニスタンやイラクといった、自分たちの年収の、いまだ10分の1、100分の1という世界をですね、足で歩いて、そこから自分たちの暮らしを考える、そういう旅をしてほしいですね。
今の、こんな不平等が続く限り、この地球から戦争はなくなりませんよ。
聞き手・写真/西村仁美(フリーライター)