2005年山形国際ドキュメンタリー映画祭特集 『日本に生きるということ-境界からの視線』…60年代の記録- 2「テレビ映画」…(『ノンフィクション劇場』より) 2005年山形国際ドキュメンタリー映画祭パンフ 2005年山形国際ドキュメンタリー映画祭
大島渚『忘れられた皇軍』(´63年 8月14日放映 25分)
この作品は“作家主義”を取り入れ、いわゆる“客観的ドキュメンタリー”を一新したNTVのプロデュサー牛山純一と、それに見事に応えた大島監督によるドキュメンタリーであり、高度成長に酔う日本人にビンタを加えたような衝撃性は語り草になっている。
そもそも当時、在日韓国朝鮮人問題のテーマはそのシビアな論点から、日韓会談の前後は、テレビには忌避されがちな題材だった。日本兵として戦傷を負った在日韓国朝鮮人傷病兵の救済は放置されていた。戦後18年、白衣の姿で街頭募金に立ち続けた彼等。その傷病兵グループ17人は、日本政府からは「もはや日本人ではない」として、陳情を拒否され、韓国在日代表部からも「これは韓国には責任がなく、日本政府に要求すべきもの」とされ、一貫して突き放されてきた。日本兵同様の恩給法の適用を要求していた。映画はそれをめぐって闘うかれら傷病兵らの行動の一日の記録である。
陳情デモの終りに新橋駅前広場で集会が持たれた。だが周りの日本人は無関心だった。カメラは専らそうした日本人の薄情さに向けられる。編中、日本軍に徴兵される戦争中のニュースや戦場記録が、軍歌とともに登場する。それに、彼等元“日本兵”が、なぜかくも疎外されているのかという、作者の怒気が感じられる。
そのハイライトは打ち上げの酒宴でのかれらの口論と喧嘩である。それをしつこいカメラで追い詰め、主人公の抉れた眼に溢れ出る涙を直視する。それは文字通り「忘れられた」日本の朝鮮植民地支配の記憶総体を象徴的にえぐり出していて、忘れ難い。
土本典昭『市民戦争』(´65年12月12日放映 25分)
瀬戸内海の尾道市。その玄関ともいえるフェリー乗り場の近くに、“国際マーケット”と言われる在日朝鮮人と外地からの引揚者の作った一角がある。お店兼住宅の24戸に 150人が暮らしていた。もともとは戦後の闇市時代の産物であるが、はじめの三年の許可期限が過ぎて15年、歴代市長はこれを黙認、営業許可を与え、水道、電気は設置され、住民も市民税を払ってきた。それが一年前に港湾整備計画の必要上、無償で立ち退くよう通告された。この時から住民は「不法占拠者」と呼ばれ、市民の名でのいじめが始まった。先触れの強制立ち退きのショックから年配の住民が死に、ある青年は前途を悲観して自殺した。この時から住民は自衛の手だてを考え始めた。しかし戦後日本国民から“外国人”(韓国籍・朝鮮籍)になった人々には「サラリーマンにもなれんし、この店しか」なかった。
カメラは立ち退きに反対する在日夫婦とその大衆食堂「万よし」の不安な日々を追う一方、立ち退き作業に駆り出される市役所の青年の「いやな日」の到来の辛さも描いている。同じ市民たち、お馴染みの町の戦いなのだ。しかし、その日は来た…。
主婦たちは声の枯れるまで抗議したが、実効はなかった。外国人の在日には勝ち目のない戦争だった。せめて立退きに一つの家具も自分の手では動かさない。ただ、しっかりと解体を見守ること…その柱一本、釘ひとつも見失いたくなかった。それが「万よし」の夫婦のしたたかな抵抗だった。…廃跡で、妻は夫に言う「また、なんとかなるわよ」。