「水俣に産廃はいらない!」運動の新しさ 『社会評論』 145 4月 活動家集団思想運動
『水俣に産廃はいらない!全国の会』共同代表 土本典昭
産業廃棄物処分場問題が水俣市民に知らされたのは二年前の04年3月、最終処分場建設のためのアセスメント(環境影響調査)の縦覧がはじまったときである。建設主体は大手業者・東亜道路(東京)の子会社IWD東亜熊本(水俣)である。彼らは土地を取得した後、事を隠密裡に進めていたらしく、この話は市民には寝耳に水だった。だから「えっホント! まさかこの水俣に…」と市民の誰しもが感じたという。それもその筈だろう。市民自慢の水道水の水源林野に、九州全域の産業廃棄物を集約する広域の大規模処理場が作られる話だからだ。また、チッソの工場排液で痛めつけられた人びとには業者のいう安全話は信じられない。
近年の水俣市の(一般)ゴミの処理は、その徹底性で話題になっている。街角ごとに生ゴミや、空き缶、ビンから電池などの燃えないゴミが住民の手で二十三種に分別小分けされ、古い埋立地のゴミ処理場に整然と集積されている。これが大手のリサイクル企業工場を水俣周辺に引きつけている。これらが“公害都市”から脱却しようとする市政として定着、もう十年余を閲した。今は全国からの見学者も絶えない。市民の一人ひとりにも“環境モデル都市水俣”の意識が生まれている。だから、日常生活のゴミ処理と企業のやる“産業廃棄物処理”との質的な違いも感得できる。また、主婦たちもスーパーのポリ袋やトレイも貰わない習慣が身についているのだ。
さて、産廃業者の建設予定している林野の総面積は95、2ヘクタールである。
「今どき、よくそんな土地があったものだ。そういえば列島改造時代、ゴルフ場ブームあてに誰かが売った土地らしい」と年輩者が思い出すような、いわば忘れていた土地だった。それに手を附けたIWD東亜の老獪さに直感的に批判を持ったのは、長年チッソの手口を見てきた患者たちだ。「企業の、所詮金儲けだろうが」とブレない。
ところで、話は一挙にこの二月の市長選挙に飛ぶが、この選挙は「水俣病の教訓」を掲げて産廃の是非を問う選挙戦になった。“産廃”に“第二の水俣病”を重ねた反対運動になったのだ。一昨年以来、丸二年間、産廃問題を曖昧にしてきた江口隆一市長(自民・公推薦)は、「産廃反対」の市民をバックにした宮本勝彬候補(無所属)に敗北を喫し、この二年にもわたる市政の迷走は止った。だが、この間、とくに注目したのは、この50年、水俣病問題に敢えて関わらなかった市民リーダーたちの言動である。篤実な彼らが「やはり水俣病を教訓に」と口を揃えた。そして大差で勝ったのだ。票差3500票だった。
しかし、このように総得票の三分の二に近い得票を得たことは水俣病運動史にかつてなかった。水俣病指導者、川本輝夫は患者のただひとりの候補として闘かったが、市議選(二十数名)ではいつも最下位か、落選に甘んじなければならなかった。それほど水俣病問題は市民に疎んじられてきた水俣だったが、失望するのは早計だった。今年、“水俣病その50年”、皮肉にも産廃業者連中の仕組んだ「産廃問題」を機縁に、いかにも水俣らしいスピリットが甦ってきたと言えるのではないだろうか。
(06,3、25)