「コワい映画」の問いかけるもの 映画「六ヶ所ラプソデイ」のチラシ
鎌仲ひとみさんの新作『六ヶ所村ラプソディー』は美しい詩情を湛えた映画だが、考えれば「コワい映画」である。昭和40年代、六ヶ所に巨大開発を夢見た電力、製鉄、石油産業の首脳たちが「日本にまだこんな土地があったのか」と喜んだ。その未開地のイメージ(人間不在視)のまま、ここに核基地を造成した。この映画は紛れもなく、六ヶ所村の核燃料再処理工場の本格的稼働“前夜”の村と、人びとの暮しの記録である。しかし、鎌仲さんはよそ者の異端者だ。それを自認した上で長期ロケを組んだ。「ここに住むことを選んだ(原発容認派)の人びとをちゃんと撮りたい」からだという。
すでに反対派は惨敗している。前途は放射能の汚染に脅かされることは村民誰しも承知している。そこがコワい。「電気を使わない暮しが出来るのか?」。その問いに答られないからだ。だが、その不条理の上で暮しを営む…子供を育てる、健康な食事を作る、手仕事を止めない。その「今を生きる」人びとの日々を描くことで、人びとの“内部の不安”を想像させる。鎌仲さんと「私はこの村で生き続ける」という村人とそこで繋がっている。
カメラは六ヶ所村の四季をこの上なく美しく撮っている。風力発電の風車は異国的な風景ですらある。大地いっぱいにチュウリップを植え、“花とハーブの里”の新名所を開いた女性は風景で反原発を闘っているようだ。色鮮やかな稲、トマト、昆布、イカなどのみずみずしいアップは、灰色の原発の風景に拮抗し、それを凌駕している。人間描写も印象的だ。ナマのトマトの味を保育所の幼児に味あわせたいという農民の顔、そのトマトを齧る幼児たちの無心な顔々。野菜市で、冗談めいて「今年が放射能に汚染されていない最後の野菜だよ」と勧めるユーモラスな主婦。これら村民に真の明るさをもたらすものは、本来「原発はいらない!」という人びとの未来志向からしか生まれ得ないと改めて思う。
このフィルムは六ケ所村に事故が起きるたびに、今後何回も反復上映されると思う。いわゆる“事故以前の”六ヶ所村ともいえよう。その意味で未来を読み込んだコワい企画だ。現在の六ヶ所村の現在の話の終りに、ついに閉鎖に至ったイギリス・セラフィールドの再処理工場とその技術者、周辺漁民のメッセージを描いた構成は説得力がある。考える材料の豊かな映画、テーマの国際性とその未来観を備えたドキュメンタリーではなかろうか。
(06,5,20)