第一回監督作品の大津映画 映画「大野一雄ひとりごとのように」パンフ
百歳の大野一雄の舞踏を、七十歳を超えた大津幸四郎が撮り、自ら監督と銘うち、さらに“第一回”作品と、一映画青年のような文句がチラシにある。多分書いたのは大津本人だろう。シャイなヒト・大津の“ユーモア”と同時に「ただならぬ自信作」と予感したのは私だけだろうか。すでに彼はドキュメンタリー・カメラマンとして国際的にも識られている。「いまさら“第一回監督”もないだろう」と首をひねった。
彼は岩波書店にはいるつもりが、当時の岩波映画製作所の首脳に口説かれ(?)映画の道に入った異色の経過を辿った人である。その彼のカメラに思索の軌跡があり、作家性が裏打ちされていた。だから“今更”に思えたに違いない。
閑話休題、私はそもそも大野一雄に何の予備知識もなく、まして舞踏の理解者でもない。私をはじめ黒木和雄、岩佐寿弥、小川紳介らなどとの「青の会」いらい、数十年をともにした盟友・大津、“アノ大津ノ映画”だから見たのだ。
さて、観た後、いつもなら饒舌に感想を楽しむのだが、この作品の場合、違った。舞踏そのものと映画の喚起力に圧倒され、批評どころではない。彼に(電話で)「みんなに見てもらい、みんなの感想を聞きたくなる作品だ!」というのがやっとだった。「大野一雄を観た、見えない大津も、観た」という不思議さ。撮った大津の心の動きが画面に出ている。この映画を観た人間もそうなるだろうと思う。人間に対する親和ともいうべき感動を受けたことを他者に伝えたいと思う。それは多分、コミュニケーションのはじめなるものではないか。
大野一雄は座談会でこんな発言を残している。「…よく“先生、踊り分かりました”と時たまふっと言われるんですよ。何を分かったのか。そういわれるとちょっとがっかりするんですよ。あなたが何をやっているのか分かりません。あなたの踊りは分からないけど感動を受けました、生きていてよかったと思いました、涙がこぼれました…と言ってもらった方が、はるかに私としちゃうれしい」(『大野一雄 稽古の言葉』より)。これは大津幸四郎にも通じているのではなかろうか。そのせいか最近出てきたと言って、30年前の私の文章を見せてくれた。記憶になかったが、今の大津幸四郎に当てても良い。
「…彼の撮ったショット(画面)について、私は良いとか良くないとか、つまりOKとかNGとかは言ったことはない。“始まったな”とか“どうしょうもなくなった(ほど、対象とからみあって来た)な”とか“あ、跳(はね)たな!”とかいう。…彼のカメラワークはあたかも幼児のよちよち歩きから足腰のしっかりした少年へ、そしてみずみずしい青年へ。さらに苦渋に満ちた大人に。そして成熟を経て、果てる。これはひとつの生きものの営為というべきか」(『映像による思索者-カメラマン大津幸四郎のこと』より)。
そしてその彼のフィルムを読み取ることが私の編集だったと書いている。これはいまも変わらない大津幸四郎論であろう。さしずめ今回も”思い切って跳(はね)たな!”とサインを送りたい気持なのだ。
(07,2,22)