『医学としての水俣病一三部作』第二部 病理・病像篇 用語解説と補足 上映会用チラシ 7月28日号 杉並記録映画をみる会 <1990年(平2)>
 『医学としての水俣病一三部作』第二部 病理・病像篇 用語解説と補足 上映会用チラシ 7月28日号 杉並記録映画をみる会

 ハンター・ラッセル症候群=有機水銀中毒の典型的、教科書的症候群。
 イギリスの有機水銀農薬工場で中毒患者が発生した。1940年、ハンター、ラッセルら医師によるメチル水銀中毒例として報告され、1954年、解剖所見も出されたことからハンター・ラッセル症候群と呼ばれた。
 共通の症状として感覚障害、言語(構音)障害、運動障害、聴力障害、求心性視野狭窄が見られる。これら症状が水俣病のそれと全く一致したことから、水俣奇病の原因究明の手掛かりをつかんだのであるから、この論文の水俣病研究史にしめる意義は大きい。しかし一方ではこの症候群が水俣病の診断基準として固定化されたために、慢性水俣病や軽症例、症状のそろわない不全性水俣病を見のがす結果ともなった。認定基準にこの症候群をそのまま用いたことで、認定患者の枠が狭められ、認定をめぐってしばしば問題となった(以上、原田正純氏より)
 ハンター・ラッセル症候群といわれるメチル水銀中毒は、農薬工場で有機水銀を直接人体に取り込んだもので、水俣病のように工場から水俣湾に流された有機水銀によって汚染された魚介類を食べて発症したものと異なることが指摘されている。認定審査会=水俣病にかんする専門医からなる委員会。熊本水俣病では、1959(昭34)年12月に「水俣病患者診査協議会」として発足、何度も改組して現在に至っている。
 県知事の諮問に応じ、申請患者が水俣病であるかどうかを判定する機関である。
 審査にあたっては検診と(認定基準にもとずく)審査の2段階。その双方に問題が多い。症状のとらえ方は検診にあたる医師によって差を生じうるし、認定基準には水俣病の病像をどうとらえるかの問題が絡んでいる。ここでの判定は現実には補償金を受け取る対象者を決める「線引き」としての機能をはたしている。そのため審査会と患者団体との間で絶えず争いの的になっている(以上、富樫貞夫氏より)
 補足・認定審査会その後の底流=認定審査会の主流だった「ハンター・ラッセル症候群」派は71年、川本らの行政不服により、棄却から逆転認定されるや辞任を表明した。
 72年 4月より審査会をつとめた武内会長らは、一方、熊大第2次研究班として不知火海の調査を行い『10年後の水俣病に関する疫学的、臨床医学的ならびに病理学的研究』報告書を県知事に提出した。これには<水銀汚染地域が従来の指定地域をこえて広がっている> <水俣病の病像はハンター・ラッセル症候群をこえて多彩である> <水俣病の発生が終息されたとする1960年以降も患者の発生を見ている>など新しい見解が述べらていた。この立場を認定審査会に持ち込む動きも一部に見られた。(だが、それは認定と棄却の間に夥しい「保留」を生む結果となる)
 この動きに、徳臣前審査会長らは同研究会を脱会するで答えるなど、水俣病専門医らのあいだに新旧のき裂が露呈。県当局は、患者の急増への危惧を強めた。
 やがて73年、研究班は天草、有明地区にチッソと別の汚染源による第3水俣病の指摘をし、あわせて、西日本各地に第4、第5の水俣病の可能性を警告した。環境庁はそれに対し、事態の沈静化に当り、学者の力をかり、翌年に「有明海沿岸に現時点では水俣病と診断できる患者はいない」と全面否定した。その前後から1年余、認定業務はストップ、75年、審査会はいわば「旧派」のメンバーで改組された。
 これに対し患者は「改善なき再開」と批判したが、いご認定の数は激減していった。