長編記録映画「水俣」製作記
水俣病患者の家に泊まりこんで五か月。朝七時起き。撮影。午後も撮影。夜、話合い。ショウチュウ飲んでコトンと寝る。そして完成
近況・心境
水俣に行ったのはこんどが初めてではないんです。6年前にテレビの仕事で行ったことがあるのですが、でも、いまさら、私、前にうかがいました者で、なんていってもダメです。去年7月浜元さんという患者さんのお宅で、とにかく合宿をはじめました。みんな部落の人とショウチュウ飲んだり、お手伝いしたり。
お手伝いって、クルマの運転がほとんどで、茂道(部落の名)タクシーというアダナがつきました。だから、初め、あれは映画監督といっているけれども、ドカタのカントクじゃないか、なんて。
魚ギライだと、信用されない。
ですから「サカナ大好き」と宣言して、徹底的に食べた。ニクは5カ月で、1~2回。あとのオカズは、サカナ。ショウチュウも、5ヵ月で一升ビン200本は飲んだ。
そして、風景とか、行事とか、撮れるものから撮りだしました。撮っては、夜になると、合宿している家で、映写会をひらくんです。
そうして撮り方をみてもらった。撮り方で、わかるんですよ、みんな。暖かいか、冷たいか。なじんでくると、情報を持ってきてくれるようになりました。「アソコの家は、こんなクセがある」「初めに、ココにこう話を持っていかないとダメだ」
撮影が部落の家の半数を越えたころ、「うちは、いつごろでしょうか」という人が、あらわれました。「いつごろですか、トコヤに行く都合があるから」
部落の人のキモチの中へ、だんだんに入っていく。それは、ちょうど、ラセン形を描いて入っていくように思えましたよ。
「このあいだ撮ったのは、もうできたか」とも聞いてくる。これまでは、、ヤラせられて、撮られっぱなし、というのが多かった。そういうものだ、と思っていたようでした。胎児性水俣病の子は、カメラマンは、お菓子を持ってきてくれる人と思っていたりする。
みんな、ラッシュをみると、自分の姿が映っているのに喜ぶのです。「ヨカバイ」なんていう。あのフンイキは、映画が発明されて、みんながそれをみたときのと、似ているんじゃないかな。映画を中にしたツキアイが、こうして、しだいに深まってきたわけでした。
私、思ったのは、胎児性の子どもをキレイに撮りたい、ということでした。どうしても、これまで奇病的な撮り方でしたでしょう。
いつも、白眼をムキ出して登場してくる子がいるのです。親に撮影を申しこんで、まあ、いいでしょうとなって、カメラをむけると、そのまわりの気配だけで、眼がでんぐりかえるんです。ケイレンを起すみたいに。それが、水俣病のトレードマークになってしまっている。
しかしねえ、365日の中では、やっぱりその子にも、笑ったり、ナゴんだりする日があるでしょう。それを撮りたかった。
その子の周囲も、その子も、カメラをかまえてもいつものペースをくずさないようになるのに、4ヵ月。そこで、フイルムをまわしたのです。胎児性の子をチャーミングに撮った。これはささやかな自慢です。もし、病気におかされなかったら、きっと、もっとキレイな人たちだったにちがいない。そう思って、そのために、時間をかけました。
5ヵ月たって、20数時間分のラッシュフイルムを持って部落をはなれるとき、部落のオバさんが、娘をくれたがったりしましたよ。「もらわんか」と。
こうなると本当に、フイルムを編集するのがツラくなる。切れなくなってしまったんです。どこの家のも。どの患者さんのも。これが、こんどの仕事のヤマ場でしたね。ツラかったあ。ツラかった。
撮ったものを、夜、みせたから、部落の人はみんな、どこをどう撮っているか知っている。「あそこ、まさか、オトさんでしょうね」と、みんな、共有権を主張して、とにかく、切れん。切れんという構造に話をもっていくわけです。ツラかったなあ。ツラかった。
初めの題は<告発・70・水俣>でした。で、まず、運動体の部分をオトして<告発>が消え、70年の説明部分をオトして<70>が消え、上映時間2時間4 7分の<水俣>になりました。患者さんの自然世界と精神世界の二つにして、水俣という空間と歴史を、患者さん1人1人の家庭の中にみつめる。
これまで、仮名で扱っていた人も、ぜんぶ実名にした。子どもの眼に、メバリする程度のあさはかな人権擁護はしなかった。作家の石牟礼道子さんがみて「男の描いた水俣」といいましたね。
とにかく、ぜんぶ撮った。思想+勇気+粗野。この粗野の部分が石牟礼さんと極端にちがう。粗野って男のやさしさだと思いますがね、私は。
それにしても、水俣の海は、キレイな海でした。夢見心地のするような、それはキレイな海でしたね。
ーうちには五カ月ばっかおらしたばってん、よう毎日きばっとらしたナア。
朝も撮影のあるときゃ三時でん四時でん起きて行きよらした。
そっでんよう焼酎も飲みよった。士本さんも大津さんも一之瀬さんも堀さんも大酒飲みばっかりでな、よう遅くまで飲みよった。魚もようつりに行きよったし、無塩(鮮魚)もようけ食いよったばい。そっでんよか人ばかりじゃった。ようきばって、ヒマなしに書いたり、撮ったりしよらした。
あたしも公会堂で映画(ラッシュ)ば見せてもろたばってん、感心しました。やっぱり専門家はちがうばい。 浜元フミヨ(「水俣」パンフレットから)