1985年 4月、人民民主党時代の記録
『よみがえれカーブルの人びと』(45分)
製作「映画同人 シネ・アソシエ」土本典昭
この映画は1985年、アフガニスタン友好訪問団に参加した映画人グループ、土本典昭、高岩仁、一之瀬正史によって撮影されたものである。当時はソ連軍の駐留のもと、人民民主党・カルマル政権が“アフガニスタン民主共和国”として、ほぼ全土を実効支配していた。この変革を「アフガンの共産主義化」と受け取ったパキスタンなどイスラム国家をはじめ西側世界は、この政権をソ連の“かいらい”として外交関係をほぼ絶った。そしてアフガニスタンは孤立し、あたかも東西陣営の冷戦の舞台となり、その国内の実情は難民問題のほかはほとんど伝えられなくなった。この期に制限されたルートを通じて交流できたのは各国の平和・友好団体であり、日本では社会党系の「アフガニスタンを知る会」(代表・田中稔男)などに限られていた。その訪問団に私たちは加わった。 カーブルには一週間滞在、この間の撮影はいわゆるスナップ取材であり、本格的取材は和平の兆しの見えた1988年、アフガン・フィルムとの合作映画『よみがえれカレーズ』まで待たなければならなかった。しかし生気溢れる民衆が描かれ、観るものをしてアフガンの未来像かと錯覚させるほどだ。
今回上映のフィルムは99%未発表のものである。ネガだけ保存されていた。<主な内容>
*200万都市カーブルのバザールとイスラム教のある市民生活。
*ユネスコに顕彰された「識字運動」。その婦人学級、英語教室など。
*土地開放された農村と自衛農民。 *戦争孤児施設での子供たち。
*4月27日、四月革命記念日の20万市民のデモ。婦人、子供と民衆の素顔。
これらを17年ぶりに復元したのは、アフガンにも世界のメディアにも、この時期の記録が極めて乏しいことを知るからである。“この時期”とは人民民主党政権からタリバン時代までの24年に及ぶ。この間のアフガン現代史を描いた記録映画は『よみがえれカレーズ』の他にあるだろうか。まして“人民の最安定期”といわれた80年代のカーブルの記録は寡聞にして聞かない。
この映像は現実音は欠いたフィルムだけの記録であるが、映像だけででもカーブル民衆の往時を読み取って頂けよう。
演題『アフガニスタンの現代史を振りかえる』
アフガニスタンを語るとき、多くは、“ソ連軍侵攻”の1979年からの内戦20年という言われ方をする。そこから溯って王政時代以来のアフガン近代化の苦闘の歴史を辿ることは少ない。しかし、婦人解放や文盲一掃の試み、平等と民主主義への闘いなどの軌跡が半世紀に渉って、アフガンの青年をつき動かしてきた。今、国父とあがめられている故マスード将軍にしても、かって国民和解に尽力した故ナジブラ大統領にしても、また現大統領カルザイにしても40歳代にして指導者になっている。それぞれ身を政治と変革に投じたのは20代の青年であった。“世直し”を信じて戦いに参加したタリバンの兵士も学生たちであった。青年の血に色どられた歴史…それは国、アフガンそのものが若いということだ。
アフガニスタンは建国(1919年)以来、非同盟中立を国是としてきた。そのため、二度の世界大戦にも加わらなかった。その独立心はこれら青年にも受け継がれてきたに違いない。かれらがソ連軍を嫌い、いま米国に反発するのもその持つ民族の歴史意識からであった。アフガニスタンの未来の設計はアフガンの近代を今後、彼等自身で読解くことで見つけだすであろう。
略歴 土本典昭
1928年 岐阜県生れ。名古屋で育ち、1938年より東京。
1952年 早稲田大学文学部除籍、四年後、岩波映画の嘱託契約者として映画に入る。翌年フリー。
<映画>
1960年代『ある機関助士』、『ドキュメント路上』、『シベリア人の世界』等1970年代『水俣-患者さんとその世界』、『水俣一揆』、『不知火海』等
1980年代『原発切抜き帖』、『海盗り-下北半島浜関根』、『よみがえれカレーズ』等。
1990年代『存亡の海オホーツク…ロシア漁民世界』、『回想・川本輝夫』等
著書 『映画は生きものの仕事である』(未来社)、『わが映画発見の旅』(筑摩書房)、『されど海 存亡のオホーツク』等