猫・車・水俣 『話の特集』 5月号 話の特集社
明日から、また水俣に撮影にいこうと思っている。その水俣に東京や関西から何人かが移り住んで、生活の途をつくりながら水俣病患者とのかかわりあいをもつ生活をしている。その一人に、劇『苦海浄土』を上演した劇作家であり役者である砂田明氏夫妻もいる。彼の個人誌『不知火だより』は文字もさし絵もまた部落の鳥瞰図もすべて克明な手書きで、その個人誌の個人誌たる性格がすみずみまではりつめていてただ感嘆の他はない。そしてその風景画の中には、いつもさりげなく猫が書かれている。水俣病と猫の話は有名だが、それ以前に、このあたり一帯、猫にとって魚と漁師と猫の自然関係が濃くあるのであって、その全滅はただならぬ生態共同体の異変として部落の人の記憶にはあるのである。この砂田氏も東京育ちの猫を共につれていったのだが、この猫の野性化とそれにつれての肥大化は呆れる程である。スピッツ位はゆうにある。
私の家にも去年三匹の仔猫が生まれた。親はそのずんぐりした茶色の体から、家では「ガンモドキ」略して「ガンモ」と呼んでいたはぐれ猫である。その親に似て「あぶらげ」と名付けた茶色のもの。斜めに限帯をかけた奇相をもつ「ナナメ」、それに茶ぶちの「小茶」の三匹、そろいにそろって歴代稀な醜猫であったため、人に貰ってもらうわけにもいかず、ぜんぶ飼っていた。私はまだ乳をのんでいた頃に海外に出たが、その可愛いわさかりを想像して音信に猫の消息をたずねることを忘れなかった。ところがある日、女房からヤケ酒をかっくらいながらの手紙が来て、仔猫の全滅を知らせてきた。ようやく跳びはねはじめ、小用も外ですることを覚えた頃、母猫の夜あそびのあとをついて家の前の道路にいったらしい‥‥それが三匹とも十日程の間に、次々に車に跳ねられ、せんべいのようになって死んでしまったという。わが家は杉並の永福町にあり、学校のそばで交通規制のある比較的静かなところであるが、そこでその始末である。
私は十年程前に交通戦争を描いた「ドキュメント路上」という映画を作った。国内ではおくらの写真である。エジンバラやべニスの映画祭に出されたので、むしろ海外で評を得たマズイ始末のフィルムであるが、その中で、私は「都会は殺虫装置である」と描こうとした。当時、私は車に無縁であったが、タクシー運転手を主人公としたため、かなり克明に運転心理を描いたつもりであった。その後、ハンドルを実際ににぎってみた。
むかし小学校の頃、昆虫採集用具の中に、円筒のガラスビンで底にうす青色の青酸の粉が入っている「殺虫器」を手にしたときの透明感が頭にこびりついている。上にコルクの太いせんをつめると、こがね虫やとんぼが、ゆるやかに死んでゆく。羽すれの音も鳴き声も聞えず、かすかなふるえがビンをもつ手に伝わってくる。それをみた私の眼が冷え冷えとしていたことも鮮やかに覚えている。仔猫の死を聞いたときもあるつめたい痛みが背を走った気がした。
この一年に、二回つかまり、それを期に車を手放し、ハンドルを握っていない。だが、何万円もかけ、一カ月近くで取得した免許には未練があって、先日、更新してきた。その時、おきまりの講習があり、安全運転の講師から、「安全運転」の話をきかされた。会場に流れているのは無力感である。誰もが明日にもわが身に起きかねない事故ー死についての受容の心をもってただひたすらに憂鬱なのである。「それでも乗る」ことを仕事としている人々である。「死者2名、負傷者45名、計〇千XX人」といったその日の前の口の交通事故表の解析から話は始まる。「左側をまもれ」「追いこし」「交差点」での注意とポイントが語られるが、語る方も潜在加害者たちと目しての話しだから、聞く側も吐息のしだいに細まるのをどうしようもない。どう規則を守っても百%事故から身を守ること皆無と暗黙の共通了解の上であり徒労感が場内をおおっているのである。
映画「ドキュメント路上」において、私は「自衛本能をひとりひとりとぎすます以外にない」などと思って作ったが、事私に関して、車にのるようになってから、防衛本能型どころか自殺志向型の運転心理におちいっていった。フリーだから車で物をはこんだり、人に会うのに一旦車を使うようになってから至便の道具となったが、基本的には人に会うことが最も多い。それには酒がつきまとう。
「今日は飲むから、車は特に駐車して放り出しておこう‥‥」と決心して、のみはじめる。のむほどにようほどに、時に記憶がなくなることがある。生酔いのうちはその約束に従うが、むしろ深酒のときに、どこでどうしたののだか翌朝気づくと車が家にあるのである。恐ろしさとも云いようがない。ひきにげやはねとばしをしなかったということは僥倖であったと云わなければならない。その時の心理にもどると、私は駐車料や車を惜しんでいるわけではない。「放っておくと車が哀しがっている」などと口では言うが、そう冗談口でいうあいだはまだ大丈夫である。が精神が定かならざるところにくると、車を駆ることへのもう一度の挑みのようなものが、異常ボッ起してくるらしい。いわば「意地きたなさ」という意味での「意地」が私にハンドルを呈しているようだ。もうこうなれば狂人である。で私はこの狂人である自分を殺す方法を考える。何通り考えても、ピストルを右耳の穴にあててズドンといった方法以外に落着かない。夜にピストルの型を考え、その入手法を考え、交番に思い至って、大たい妄想が閉じる。
この一刻、心の中を吹き荒れるのは、惨死といった加害、被害の彼我関係を見失った荒涼たる心象である。臆病ゆえの即死願望しかない。そうこうして結局、私はまた宿酔の息を吐き散らし、四十男の分別を面に貼りつけ街に出る。そのまま、出てゆくのである。それでいて、ひとのいのちをめぐる映画のことを構想する。ひき裂かれた話でとてもまともではない。
一年たって、又仔猫が生まれた。こんどは二匹である。妊娠規制をしたのか前年より一匹減である。おそらく描なりの本能が働いたのであろう。これも又、この都会の中で惨死することになろう。教育の方法がないのだから。
ふたたび「不知火海」のロケで、水銀で狂い死にした人々の地にゆく。生ける屍といわれる人と親しくならなければならない。私に加害の「気」があっての上であり、そこで大人とかわす「人間のいのち」の一言は、時に言うのも難儀である。この頃の水俣では、猫共の姿が多い。砂田さんの猫より勇猛な漁家育ちの猫である。人々は猫の頑健のうちは魚をたべつづける。猫が毒見役のように人々からみつめられている。だが、一見すると、いまもある描おどりの話は下火になり、猫は水俣に生きつづけ人々と共生している。東京を背負った私は、又、仔猫の全滅をしらされるにちがいない。水銀づけの不知火海のそばに、また猫の生きる土地があることが、私には魅かれてならない。
割愛あり