書籍「されど、海 存亡のオホーツク」 あとがき <1995年(平7)>
 書籍「されど、海 存亡のオホーツク」 あとがき 

 この本は見聞記である。これを書き留めておきたいと思った動機は、映像だけでは語れないあまりに多くの、しかも未知な見聞をしたからである。”オホーツク学術調査”などとツアー名をつけたのは旅行代理店(JTB)であって、できれば「映画シナリオハンティング」としたかった。映画の下調査だったからだ。そのつもりは今も変わらない。
 何故、オホーツクかを自問してみる。その答は案外、私の机に貼つてある新聞コラムの一節かもしれない。
 「半世紀も前、動物学者の故・犬飼哲夫氏は『海(大陸棚)を見るときは山を見よ』と語った。地球上の大・中型の魚は五億トン。この魚を五十億トンの小魚が支え、小魚は五百億トンの動物プランクトンが、動物プランクトンは五千億トンの植物プランクトンが支えている(推定)」(北海道新聞『卓上回季』)。
 人類は毎年、約一億トンの水産物を海から獲っている。日本はその約一割分を得ているという。五百億、五千億のプランクトンとは地球全体の重さのどれだけか。海にとり囲まれている私たちの島国では、この壮大な食物連鎖のうえに生きていることの実感がない。しかしオホーツク海はシベリア大陸からのアムール川に支えられている。これが日本の水産物の約四割を支えているとしたら、私たちはシベリアの森に育まれていることになる。では国境とはなにか。地球的に見るとか、地球的レベルでなどといわれる、その地球を映す見事な舞台の一つに、オホーツクを当てて見たかったということだろうか。
 この本の出版されるころ、多分、私は助手と水俣にいって次回作の準備にあたっているだろう。水俣病事件も、犬飼氏の推定された、膨大な食物連鎖の掟からのがれられない人類の受けた悲劇的体験である。同時に地球のヒナ型であり、そこにはオホーツクへの思いと全くかわらない矛盾と、再生への憧憬がある。だからこの二つの舞台は私には繋がっている。水俣とオホーツクと交差した仕事がしたいものだ。

 この調査は文中に述べた多くのひとびとの協力によってなされた。特に竹村孝章氏ほか根室の方々、北海道地域研究所の荒井信雄氏、そして極東・オホーツクに個人的にも連絡の労をとられた前ロシア札幌総領事I・A・アブドウラザコフ氏には改めて感謝したい。
 この下調査には結果として少なくない資金を費やした。その中には映画『アイランズ・島々』の基礎調査、ある民間テレビの企画調査の経費も含む。そして私の旧知の友の望外の資金援助によって”オホーツク学術調査”は実現できた。心からお礼を申しあげたい。
 今回、八ミリビデオにも関わらず、NHKは映像報告の機会を与えてくれた。また文中に挙げた映画・テレビ関係者の協力なしには、映像素材、文章記録の調査・集録作業はできなかった。
 また多くの文献のお世話になったが、その主要なものは文中に触れたつもりである。とくに資料を引用させていただいたのは、朝日新聞、北海道新聞(道東版)、読売新聞、東京新聞などである。切抜きをワープロで叩いて、メモにした。これはオホーツクにも持ち歩いたものだ。なお各紙、そしてハバロフスク、ユジノサハリンスク駐在の記者の方々にもご教示を頂いた。
 ロシア語については、同行の村山敦子さん、最終監修にロシア語翻訳者児島宏子さんを煩わせた。勝手に「オホーツク・スタッフ」と称したが、同行の大津幸四郎、仕上げとテレビの共同監督(編集)の山邨伸貴、助監督西森一夫、稲葉光宏、プロデューサー山上徹二郎、それに当時影書房の米田卓史の各氏である。とりわけ米田氏には助言を含め、惜しみなく校正の労をとっていただいた。
 そして、かれこれ付き合って四十年に近く、記録映画しか表現の手段方法を持たなかった私に、未来社いらい出版の機会を与え続けてくれた現影書房の松本昌次氏、四十数年来の友人で社長の庄幸司郎氏にまたもお世話になった。
 最後に、長年の助手であり、いまは共同生活者である青木基子にはすべての労を煩わせた。彼女なしには長丁場の仕事はこれまでも出来なかったし、これからも、である。
 「二十一世紀には”オホーツク”は大文字で書かれるだろう」とは荒井氏の言だが、そう私も信じて疑わない。この旅の記録がロシア・極東・オホーツクの漁業、そして北方領土などに関心をお持ちの方々に、すこしでも役に立てば幸いである。

 一九九四年十一月一日

 土本典昭