『告発・'70・水俣』(仮題)製作開始にあたりアッピール 〈注〉『水俣ー患者さんとその世界』はシナリオなしで始められた。これは撮影にあたって、患者さんとその支援者にむけて、映画を作るにあたってのメッセージとしてかかれたものである。 <1970年(昭45)>
 『告発・'70・水俣』(仮題)製作開始にあたりアッピール 〈注〉『水俣ー患者さんとその世界』はシナリオなしで始められた。これは撮影にあたって、患者さんとその支援者にむけて、映画を作るにあたってのメッセージとしてかかれたものである。

 映画をつくる・・・いつも新鮮な設問です。この運動にかかわりながら、発足しはじめた東京・水俣病を告発する会の多様で自立的な活動を思うとき、私たちは映画づくりの核をさがし、つかみ、確めています。
 この映画で何を言いたいか? 言いうるか?
  石牟礼道子さんの『苦海浄土』が、数万語のレポートを超えて、その表現ゆえに絶対的世界をもつようにー宇井純氏のあくなき追究の結品である『公害の政治学』が行動の指針につきぬけているように、そして、ともに、すぐれた告発カをもって、私の内部に刺さるように、私たちはこの映画を作りたい。
 私たちは五・二五東京行動(注、七〇年五月二十五日、水俣病補償処理に抗議し厚生省にすわりこんだ闘争)以来、この東京・水俣病を告発する会発会式まで、その深く劇的な事実のまえに、うずくものを押えながら、カメラもテープもまわすことをやめ、肉体的にデモやカンパ活動にかかわり、胸の思いをたわめて「真に運動を欲するのか、つながりを欲するのか? つまり映画をはじめるのか?」のつきつめに集中してきました。ようやく、今、映画として事を起したいと思います。
 即ち、告発する会の運動の中で知らされたように、この映画は、水俣の毒をもち、患者さんの怨念を口にふくみ、十七年を人ごととしてきた私自身の恥をさらした奇態な表現をもって「わが告発」としたいのです。
 それをこの安保自動延長の年、万博の年の七〇年にむけて、全国にばらまきたいのです。七〇年代を、この公害の祖型、水俣の深みから、すべてをみなおしてみます。
 ー完成予定は七〇年十一月です。

 東プロでは『沖縄列島』のスタッフで、新らしい映画『やさしい日本人』を同時スタートさせ、安保の日、六月二十三日夜のシーンからクランク・インし、この映画の独自な表現で日本の現状告発を迫り、この秋には同時に上映を計画しています。

 主な内容

 〇水俣闘争の新らしい「節」より
 患者さんの十七年の孤絶の闘い
 その息づかいに、この五月、資本と国家は術策を、あげて用い、患者さんを裂き、一任派とよばれる人々の口を封じた。
 昭和三十四年歳末の見舞金契約以後十一年かかって闘いつづけた闘いを扼殺しようと。
 この一九七〇年五月は何か。チッソは今も責任をついに明らかにせずに殺人者の正体をかくしおおしたまま、熊本地裁の権力の”空間”の中で残る訴訟派の患者にむかっている。それは全化学工業の、日本の総資本の、否日本の国家権力の重量をかけての「訴訟」だ。このあからさまな時点から映画は事を始める。
 〇患者さんの世界
 〇患者さんの十七年
 〇患者さんのみた世界
 〇そしてあくまでもつ患者さんだけの世界
 患者さん。その死霊の成仏をねがい、みずからその一生を背負い、衰弱と老化とたたかいながら、訴訟に全力をかたむける患者さんたち。
 ー私たちは、すでに予感できるーその暗く深い何者かの前に必ずたじろぐだろう、健康であることが自分にとって恥と敗残であるかのようにおののくだろう。
 なにができるか。
 なにがともにいき、ともにあることかー生の根源を問うてくるこの患者さんの世界、それをとりまくタテヨコの世界から、私たちの一歩はくりだされ、フィルムにするしごととなろう。
 その笑顔はー何の自然律によって得たものか。
 その沈黙はーどのような深い思い出につながるか。
 その拒否はーどのような傷によって自然でさえあるみぶりになったか。
 生きることだけが闘いである子供(胎児性) への骨肉の愛惜は、何によってのみ償えるか。
 人びとが裁判の法廷にその病み衰えた体と気力を運ばせている精は何か。
 彼らの語ろうとするものーそれを解けるか。
 患者さんの死に残るおもい、成仏への思いーそれは私をも狂わせるのではないか。
 その世界とむきあうことで解きあかされる別の海、別の町、別の水俣、別の労働者、市民の貌、そして全く別の日本が見えはしないか。その無気味さはこの映画の性質となりうるか。
 〇ゆえに”告発”とは
 〇誰が 誰にむかつて 何を?
 この十七年、水俣の死の上に組立てられた神武景気、オリンピック、GNP、万博、この十七年、患者さんにとって、痛みと苦しみと貧しさとそして不信のつもる時間。みずからの”告発”行動としてでなければフィルムはまわせない。
 水俣市民会議、熊本・水俣病を告発する会、そして五月より開かれた水俣・熊本・東京の動き、そのいずれにも見られるかおは、新らしい質をもった顔である。患者さんを知らない人ですら確乎とした顔をもって参加している原点ー自己告発をバネとした他者告発、チッソの死をねがう一すじの告発ーリクツ抜きの、反自然、反人問、反社会への”NO!”ではないか!ーかつて見た赤旗かず知れずの量の群れでなく、また組合決定の「活動の柱」ではなく、まして党の神々の登場ではなく、まさに無名の辺境の心をもって、だ。
 〇七〇年の水俣とは
 水俣病の医学・科学的解明、そして歴史的経過もできるだけ詳しく表したい。それはすべて本来、ヤミからヤミに葬られるべくして、人々の手で守られたものだからだ。
 しかし今、怖ろしいまでに予感できる。水俣からの問いかけは、平静さを失わせる。知的整合を狂わせる。今までの私達の”生き死に”の価値観を転倒させる。
 「”死者四百万”ーそれならば、その金を積もう、会社の人々よ、水俣病で死んでもらおう」という、お命交換の強念こそ、水俣をとる私達の到達不可能にせよ、めざすべき表現としてかかげることから、その映画にむかつて歩きだしたいのである。