書籍「ドキュメンタリー映画の現場」 ドキュメンタリー映画の魅力 蓮實重彦
60年代の現実を予感させる土本ドキュメンタリー
土本典昭さんが、今回、『水俣病=その30年=』という四五分ほどの中編を撮りあげられましたので、これまでの土本さんのお仕事を振り返るという意義深い企画が東京でも名古屋でも行われております。その催しに参加させていただき、大阪での上映に先立って私なりの連帯を表明しうることをうれしく思います。六○年代から七○年代にかけて、私が映画に関わってきた一つの柱に、日本のドキュメンタリー映画があるからです。そのことを直接書いたり語ったりはしておりませんが、この時期の日本のドキュメンタリー作家たちの活動が一貫して刺激的なものであった、ということは事あるごとに言ってきたつもりがいたします。現在、日本映画というものを考えた場合に、一群のドキュメンタリー映画が日本映画に対して、あるいは、日本映画の中で果たしている大きな役割ということを考えてみないといけない状況になっております。日本映画の状況について、よく、外国から原稿を頼まれて書くことがありますが、その中に必ず「土本スクール」「小川スクール」に連なる人たちの活躍を書いております。外国人にも、現代の日本映画を見ていく場合、どうしても、土本さんの名前、小川さんの名前ー最近では原一男さんの名前もですがーそうした方々の名前を欠かせないんだという認識が高まってきているように思います。いろいろな国際映画祭のディレクター、コーディネーターが日本に来まして、何本かの面白い映画を選んでいくんですが、今年の最大の商品という形で、原さんの『ゆきゆきて神軍』が、すでにベルリン映画祭にもいってますし、香港映画祭でも上映され、かなりの反響を呼んでいるということがあります。これは、私にとってもうれしいことで、やっとといいますか、世界的な注目がこうした人びとの上にごく正常な形で降りてきたという感じがいたします。
私が初めて土本さんにお会いしたのは、七一年のパリです。ちょうど、土本さんが『水俣ー患者さんとその世界ー』を持ってヨーロッパをまわられた時でした。当時、たまたまフランスにおりまして、シネマテークでの上映にも立ち会い、終映後には土本さんとカフエーで長いことお話しした記憶があります。したがって土本さんの作品とのつき合いもかなり長いというつもりです。なぜ私が、土本さん、あるいは、小川さんの映画に魅かれるか。それはおそらく、第二次世界大戦後の日本映画の東宝とか松竹とかいったスタジオシステムが壊れた後、最も個性的な映画表現をされた方々が岩波映画系のドキュメンタリー作家だという認識が、私の中にあるからです。もちろん五○年代、日本映画は質量ともに最盛期に達し、六○年代に入って、日本ヌーベルバーグの出現が象徴的な役割を果たしたように日本のスタジオシステムは徐々に壊れてゆくわけです。その過程で、いわば弱くなったシステムを利用しながら、いろいろ面白い試みが行われたということはあると思います。大島渚や吉田喜重の登場がそれであります。と同時に、その外側で、岩波映画系のドキュメンタリーの活躍は目を見張るものがあった。いや、目を見張ったわけではなく、何かの予感を絶えずたたえていたというべきかもしれません。
『ドキュメント路上』という土本さんの映画があります。これが、私が土本さんの映画を見た最初のものですが、それから小川さんの『圧殺の森』という映画もありますが、この二本が、六○年代の後半から七○年代にかけての日本の現実をある意味で鋭く予感した映画、何かが起こりそうだという感じを、極めて直接的にフィルムの表面にまで定着させていた映画ではなかったかというように思っています。それ以後、二人はおそらく他の国々では達し得なかったような、”生きられた時間”というものの、いわばフィルム的な定着化に向かっていかれる。土本さんの場合には、水俣の海というものの、例えば、明け方の風景、あるいは夕暮れの風景、その周りに立っておられる方々の風景、つまり、海、あるいは水というもの、日本の海であり日本の水であり、それは同時に、何者かに管理されてしまった汚された水ですが、そうした海にカメラを向ける。一方に小川さんは、日本的な非常に長い時間を土の中に湛えた山村の生活というものを、フィルムにゆっくりとした時間をかけて定着されている。
現代の日本映画の中でいったい何が世界に向けて誇れるか。それを考えると、劇映画の監督も多く参加しておられる現代の日本映画の状況の中で、どうしても、このお二人、および、その二人によって刺激された日本の若いドキュメンタリーの方々の仕事が思い出されてしまいます。
国際的なコミュニケーションの中で
たまたま、先日まで、私は香港国際映画祭にいっておりました。そこで、一本のマレーシア出身の青年が撮った『ベジャライ』という、大変に面白いとは言いかねるが、しかし、決してつまらなくはない作品を見ながら、土本さんのことを深く考えていました。この『ベジャライ』という映画を撮っていたのはスチーブン・テオという青年で、名前からするとアメリカのインディーズの作家みたいなんですが、会ってみると私と同じような顔をした東洋人で、中国系でマレーシアのサローワークに生まれた映画青年です。時々、香港映画をめぐる状況的な批評を書いているので、その名前は見ていましたが、今回、初めて会うことができました。彼はマレーシアの青年たちにまつわるある風習を『ベジャライ』という題名で映画にしたわけです。この映画を見ながら、なぜ土本さんのことを考えたかというと、土本さんのいわば独立第一作といえる『留学生チュアスイリン』という作品があったからです。この作品は、まさにマレーシア出身でありながら国籍はイギリスで、マレーシアがイギリスから独立したとき、その独立を認めないという一人のマレーシア人の青年の話です。その青年に対して日本の官僚たち、大学、あるいはクラスメートがどのように反応したかということをきわめてビビッドに描いた面白い映画です。
なぜ、私が、その『留学生チュアスイリン』を思い出したかというと『ベジャライ』という言葉の意味です。これは、青年がある時期に達すると家を捨て放浪の旅に出るという、一つのマレーシアの風習を意味する言葉です。それは民俗学的な風習でもあり、そのことをドキュメンタリー的に撮ってこの作品は故郷を捨てる動機と、そして捨てた故郷におそらく先祖伝来伝わっているのであろういくつかの風習に対する断ち切りがたい執着といったものが素朴な葛藤をつくり上げている映画なんです。残念ながら大傑作、中傑作でもないごく普通の映画になってしまったわけですけど、その映画を見ていて、「あ、これは土本さんが描いた留学生とほとんど同じだ。チュア・スイ・リンもこのようにして、”ベジャライ”という故郷を離れる儀式に従って留学生として日本に来ていたんだ」ということが分かりました。
これは私にとってある意味で感動的な体験でした。ある時ある一つの状況がある作家の作品の中で示され、それが思ってもみないかたちで反復されて、状況そのものの説明が、いわば後からもたらされるということです。おそらくスチーブン・テオは土本さんの映画を知らないでしょうし、ましてやチュア・スイ・リンが日本でたどった軌跡も知らないでしょう。それでいながらまぎれもなく、土本さんの映画と連帯しているということです。つまりこの二本を重ね合わせてみると、監督たちが意識していた以上のものが見えてしまうのです。土本さんが、直接の主題とはしなかったものを、他の監督がちゃんと映画にしてくれて僕たちに示してくれる。これは一種のコミュニケーションであり、当事者同士が意図していないそのコミュニケーションが起こってしまうということに感動させられたのです。操作しているわけではないのに、ある欠けていたものが捕われるように世界的な映画の状況が作用しているという気持ちがいたしました。
同時にもう一つ、土本さんのことを考えた作品があります。インド映画なんですが、『ボンベイ・アワー・シティー』という映画です。アーナンド・パトワルダンという監督で二十七、八の若い人です。この人が、ボンベイ我が街、我が都市という一六ミリのドキュメンタリー映画を香港に出品していまして、これを見ていると、土本さんが一時インドに行かれまして、インドの貧民街の様子をフィルムに収めたんですが、その持ち出しが難しくってインドに軟禁状態になり、そこにとどまらなげればならなかったという話を思い出しました。つまり、ボンベイの街は一方に高層ビルが建っていて、その高層ビルがはるか見下ろす彼方のほうに、驚くべき貧民街がある。おそらく、土本さんはそういうものを撮っておられたんだろう。その時、それを日本に持ち帰って、一篇のドキュメンタリーに仕上げることは出来なかった。ところが、その十年後、一人の若いボンベイ出身の作家が、多分、土本さんが撮られたのと同じ主題のドキュメンタリーとして、われわれがそれを見ることが出来るような状態にしてくれているわけで、ここにも意図されざる連帯が演じられている。土本さんが試みようとして出来なかったことを、他国の青年たちが、土本さんとしめし合わせたのではないのに行っている。やはり、映画は、映画だけではありませんが、コミュニケーションの思いがけぬ多方向性によって、ますます僕らを刺激していく、そのような記号になりつつあるんだということを実感しました。
土本映画の編集原理
土本さんの映画は普通、ドキュメンタリーと言われています。ところが、ドキュメンタリーとフィクションという問題ですが、これ自体は、その境が非常にあいまいであります。もちろん現実のある事態をそのまま描いたのがドキュメンタリーで、現実には起こっていない頭の中の想像を劇化していけば、これはフィクションである、という大きな分類は成立すると思います。にもかかわらず、すぐれた映画においては、ドキュメンタリーとフィクションというものの間が非常にあいまいになっているということがあります。では土本さんは、どういう形でドキュメンタリストとしての自分を築かれたのか。これには、はっきりした一つの目安があります。その目安というのは、ドキユメンタリーというものがもっている編集との非常にあいまいな関係を取り払ったということです。それ以前のドキュメンタリーの特徴は、例えば亡くなった亀井文夫さんがもっておられたものだと思いますが、それを土本さんはその方法を”構成主義”と言っておられます。その中心的なアイデアというのは、絵は編集次第でどうにでもなるということです。このアイデアは、映画史的に辿っていきますと、クレシヨフの効果といわれているものにもとづいた映画ということになります。クレショフ効果というのは、一人の人間の顔を撮って、その次に例えば裸の女性を置く。そのように編集すると、男の顔が淫らな視線を浮かべているように見える。次に、同じ男の顔の後に、湯気を立ててるおいしそうな料理を皿の上にのせたものを編集で継ぐと、全く同じ男の顔が、今度は食欲に輝くような目に変わってくる。編集次第で、泣いた顔でも笑った顔になるし、笑った顔でも泣いた顔になる。そういう考え方ですね。亀井さんの作品はしっかりと構成されていて、亀井さん自身、自分の真の主題を自由な形では表現し得ない時代に記録映画を作っておられ、そういう方法に従わざるを得なかったんだと思うんです。では、土本さんにとって「編集とは何か」といいますと、この前、雑誌『リュミエール』のインタビューでうかがったのですが、撮った順序にだいたい継いでいく、ということでした。このことは、あらかじめ出来上がっている構成に従ってというのではなく、自分が事態を知った順序でもなく、実際に、その対象に向けてカメラを回した、その順序で継いでいく、という考え方です。土本さんのドキュメンタリーの最大の特徴は、”構成主義”という編集から自由になる、というところだと思います。
その点において土本さんのドキュメンタリーは、亀井さん流の”構成主義”あるいは、その奥に存在しているところの”クレショフ効果”によった編集とは全く違ったものであるわけです。そのようなものとしての土本さんの映画が、完全な形で開花するのは、おそらく『パルチザン前史』からだという感じがします。『ドキュメント路上』ー、ここには鈴木達夫さんの非常にみごとなカメラが見られるのですが、そこにも、ある程度そういう編集至上主義からの離脱が感じられはします。ところが『ある機関助士』の場合、非常によく構成されたドキュメンタリーという感じが強い。事実、あらかじめコンテをたてた上での撮影だとうかがいました。それに比べて『パルチザン前史』あたりから、先程言った土本さんの編集の原理というものが強く現れてきて、まあ、あらかじめ意図された構成が全くないとはいえないかもしれませんが、まさに撮っていくその過程で、自分の目に入ってきたものを、その順序に並べていくという、そういう編集法であるが故に可能な生々しい迫力にあふれた映画になっています。土本さんの作品がもっている臨場感の迫力というものは、そういう編集法からきていると思います。
フレイミングによる排除の怖さ
先程、ちょっとふれましたドキュメンタリーとフィクションとの間が非常にあいまいだという問題をもう一度考えてみましょう。というのは、映画にあってのドキュメントというものはごく限られた形でしか存在し得ないからです。ドキュメント、つまり記録されるべき現実というものがあった場合、それを映画によってドキュメント化するには、一方ではフレイミングというものがあり、そのフレイミングとは排除の論理の効果を持っているわけです。なにかをフレームに入れない、という排除の効果ですね。もう一つ、ショットによる排除というものも働きます。つまり対象を時間的にも空間的にも限定しないかぎり映画は成立しません。その二重の排除によって成立する画面を継ぐのが編集という作業となるわけです。この二重の排除はドキュメンタリーを必然的にフィクションに近づけてしまう、その排除の効果というものに対して、いわば、それに逆らう土本さんの気持ちが『パルチザン前史』あたりから非常に強く出てきて、僕が意識的に土本さんの作品として見た最初の作品『水俣ー患者さんとその世界ー』で、その手法が確立されたのだと思います。
『わが街わが青春ー石川さゆり水俣熱唱ー』という映画がありますね。「水俣病=その20年=』の後に撮られたものです。石川さゆりが水俣を訪れた、そのドキュメントなのですが、大変素晴しいものだと思いました。胎児性の若い患者さんたちが、石川さゆりを実際に水俣に呼んでしまう。土本さんの映画を見ているとよく出てくる、清子さんという人がいます。また、鬼塚君という、いまは非常に重症になってしまわれたと聞きましたが、その若い患者さんたちが、石川さゆりをこの目で見て間近に聞きたいという希望から、切符を売ってコンサートを実際に開いてしまうのです。土本さんは、その準備段階から終了までをじっと追ってゆくわけです。その鬼塚君という人は、見ていて本当に素晴しい青年といいますか、現実生活においても素晴しいだろうし、また映画に撮られることによってますます素晴しくなっていく一人の青年なのですが、このドキュメンタリーは、石川さゆりのコンサートを終え、それを主催した若い胎児性患者さんたちがホツとし、鬼塚君と数人の人たちがコンサート会場を出て行く人たちにあいさつを送る場面で終わるわけです。ところが、コンサートの準備には、それぞれが分担し合って盛り上げたんでしょうが、映画はそのコンサートに参加した人たちの顔をまんべんなく撮ることによって終わるのではなくて、これこそ素晴しい顔だと、鬼塚君の顔のほうにスーッと寄って行って、そのストップモーションで終わるわけです。この作品を見ていて、僕は、絶対、鬼塚君の顔で終わるぞと確信していたので、予想通りにその顔で終わったことをとてもうれしく思うと同時に、しかし、そこでカメラが、鬼塚君におとらず必死に準備をしていたに違いない他の人たちを排除してしまうカメラの動きに、ある割り切れなさを覚えました。カメラというものは、そのフレイミングというものは、何とも恐ろしいもので、どうしても何かを排除することによって、その時の最高度の表現に達しようとする。まんべんなく撮るということが難しいものであるわけです。鬼塚君というデリケートで、コンサートのちょっとした準備段階でもナーバスになってしまい、そのナーバスになった自分を抑えようとして抑えられないところを、土本さんは実に見事に撮っている。これほど繊細な感受性の持ち主がはたして最後まで持つだろうか、と映画を見ているわれわれも心配になってしまうのですが、鬼塚君は見事にコンサートの準備を終えるのです。そうした彼を、ついカメラと一緒に、われわれも特権化してしまう。フレイミングとして特権化してしまう。それがドキュメンタリー映画として本当にいいことかどうかは、もう一度、考え直してみなければいけない問題であるように思いますが、見ていて、その最後で映画が生きたという感じはするし、そのことによって、鬼塚君も生きたという感じがしてほっとするわけです。しかし、そのため映画的には生きなかった人がどうしても出てくるという点では、非常に厳しい問題だと思います。
土本さんは、もっともはじめから、一人の人間を特権化するという姿勢で水俣にアプローチしたのではなく、特に七一年の『水俣ー患者さんとその世界ー』という映画の中では、どういうふうに撮っていったらいいのかかなり悩まれたようですが、その際、最初の裁判派の人たちを全員撮れば映画になるはずだと考えたことでカメラが回せたといっておられました。映画的に面白い人を撮るのではなくて、自分は全員を撮ればいいんだ、そのような気持ちになった時に初めて、映画が出来そうだという気持ちを持ったと言っておられます。ですから、あらかじめ排除が働いているのではなく、逆に排除してはいけないんだというのが出発点になっている。現れるものは撮らなければいけないんだという気持ちが強くあったことは確かですけども、それでも編集の段階で、あるいはフレイミングの段階で、どうしても排除は行われてしまう。時間的に編集によってあるものを切っていく。それから、フレイミングによって、いわばオフスペースといいまして、映っているものといないものの関係を際立たせる。これが映画の生命であると同時に、映画をいつでもいくぶんかいかがわしいものにしていく。つまり、ある一つの事柄を全くそこから違った形での内容に引きずっていくことのできる問題であるわけです。
例えば有名な話で、一九五○年代の初めに撮られたジョン・ヒューストンの『勇者の赤いバツチ』という南北戦争を扱った、かなり激しい反戦映画がありました。だけども、会社が編集の段階で次々に切り刻んでいって、最終的に、日本で上映された時には、旗を持って吶喊するというシーンで終わる好戦映画になってしまいました。ジョン・ヒューストンは、実はこの旗を持って吶喊することがいかにバカバカしいかということで撮ったわけです。しかし、アメリカで封切られたヴァージョンは戦意高揚映画になってしまった。つまり、編集によって映画はどうにでもなるんだという、非常にやばい場所であるわけです。
やばいフィクションへの傾斜を危うくこらえる土本映画の魅力
土本さんの魅力は、あえてそのやばさというものを、自分のほうに引き受けて、なおかつ、引き受けたやばさを決していい加減には受け入れないでいきたい、という考え方であるような気がします。
そのやばさというのは、フィクションにいく一歩手前ですね。編集によって、フレイミングによってフィクションに近づいていく一歩手前を実に厳しく自分の側に引き寄せて、いい加減には処理せず、映画にしていく。同時に、そのやばさそのものが、また起こってはならないと自分自身に強く言い聞かせているように思います。やばさそのものを自分の責任において引き受けるという態度、それが、土本さんに魅かれる最大の理由であると思います。
実際フィクションへの傾斜を危ういところでこらえているのが土本さんの映画の最大の魅力ではないでしょうか。にもかかわらず、あるいは、であるが故にそれは素晴しいドキュメンタリー映画たりえているのだと思う。ドキュメンタリーの難しさというものは、対象となるドキュメントそのものが、いわば社会的ないくつかの意義をすでに持ってしまっているということにあるわげです。水俣の場合がそうであるし、また、『海盗りー下北半島・浜関根ー』の原子力船「むつ」の場合もそうであります。そのような社会的な問題、すでに意味を持ってしまっている問題に近づくというだけではドキュメンタリー映画はできません。その近づき方そのものがーこれは決して土本さん一人の近づき方ではなくて、おそらく協力した、キャメラマンの大津(幸四郎)さんとか、スタッフの方々全員のいわば生きた呼吸のようなものが対象に近づくことのドキュメントとして、土本さんの映画の中に息づいていると思う。これは描かれた対象をドキュメントしているだけではなく、対象とともに生きつつある自分自身が、いわばフィルムの上にドキュメント化されているということです。おそらく、すぐれたドキュメンタリーの面白さは、その二重のドキュメント性が不可欠なのでしょう。
つい最近、大阪でも上映されましたが、一種のドキュメンタリーと言っていいでしょう、この間亡くなりましたダグラス・サークの晩年を扱ったダニエル・シュミットの『人生の幻影』という映画があります。目の不自由になった大監督とそれをフィルムに収めようとするスタッフの呼吸とが一つになった感動的な作品です。また、香港映画祭で、『ディレクテッド・バイ・ウィリアム・ワイラー』というワイラーの晩年を扱ったドキュメンタリー映画がありました。ワイラーという人は、どこかで過大評価されてしまったところがあると同時に、その過大評価がスーッと引いていくとなんでもない監督になってしまったという、なにか、われわれが不当な仕打ちをしているような感じがしている監督です。だけど、決して悪い監督ではありません。そのウィリアム・ワイラーを、あるアメリカの若い監督がドキュメンタリーにしたものです。これを見ていて悪くはないんですが、面白くもなんともない。例えば、オードリー・へップパーンがいまどんな顔をしているかが分かるだけでも、大変貴重な興奮ではありました。オードリー・へップバーンという女優は、いかに年をとることが下手かがわかり、これは彼女にそういう才能がないから仕方がないわけですね。昔と同じ顔をしたままおばあちゃんになっている。僕は、映画作家じゃありませんけど、僕だったらこういう顔は絶対に撮らないわけです。僕だったら、と言うと大袈裟なことですけど、おそらくダニエル・シュミットだったら撮らないと思います。しかし、ウィリアム・ワイラーについて語っているというだけの理由でその若い監督は平気で撮ってしまう。そこのところが、撮っている人の呼吸そのものがフィルムに定着されているかいないかという違いだと思いました。ドキュメンタリーであるかないかの違いであるようにも思われました。たしかに、ウィリアム・ワイラー自身、非常に楽天的な人で「私は幸福な生涯を送ることができた」と言っており、その姿を見ることは感動的ではありました。また、ジョン・ヒューストンが出てきて、うそとしか思われない大言壮語によって「ウィリアム・ワイラーこそ世界の大監督である」と、とても本気とは思われない讃辞を述べたでたり、そのへんで思わず笑ってしまったのは僕一人で、とても恥ずかしい思いをしましたけども、ごく普通のドキュメンタリーで、監督が、この人を対象に撮っている時にどんな息遣いで、その対象とどのようなコミュニケーションを結んだのかということが、ほとんどわからないんです。多分、コミュニケーションを絶った形でとらえたとしか思えないようなドキュメンタリーになっておりました。それでも面白かったわけですけど、それに比べて『人生の幻影』の場合、対象そのものとの間のコミュニケーションの、いわば撮る側の人間のほんのちょっとした呼吸の乱れ、その時のちょっとした戸惑い、思いがけない喜びといったものが画面に定着されているドキュメンタリーになっている。つまり、ドキュメンタリーがすぐれている場合には、先程の土本さんについて触れました、二つのものがフィルムに定着されているはずだという僕の考えを申し上げたかったのです。
土本さんの映画の中には、そうしたすぐれたドキュメンタリーの映画が何本かあります。『不知火海』という作品があります。少女の患者が、熊本大学の医師と一緒に広い海を前にして「脳を手術したら治るのか?」とか、ふっと「生きている勇気がなくなってくると思う」といったことを訥々としゃべり、その横に、もう一人の若い患者さんがいて、それを長い据えっ放しの同時録音でー『水俣ー患者さんとその世界ー』までは同時録音ではないんですがー、『不知火海』からは同時録音で、その同時録音の力みたいなものが出ていて素晴しい画面になっている、しかし、普通は、同時録音された言葉の凄さによって画面を見なくても事実に引きずられるということも起こってしまう。このことは、同時録音の問題ということだけではなく、土本さんがもう一つ考えておられる、音楽による安易な叙情の高揚はやめようという姿勢にも通じるものだと思います。
対象に近づく監督の心の震えの記録に感動
そこで少し、映画音楽に触れてみましょう。いろんな歌い手たちのビデオクリップがいま出回っています。しかし、そのほとんどは音楽が入っていなかったら、とても見ていられないものもあるわけです。音楽を流せばつながらないはずのショットもあっさりつながってしまう、というだけのビデオクリップ界の安易さにはうんざりさせられます。そのことと、同時録音で撮っている人たちがぐっと息をこらえているような状況が風景との関係で迫ってくるということは大きな違いを持っているわけです。『不知火海』の素晴しい画面は、海を見ながら堤防のほうに静かに歩いていく人とか、そういうものがふっと見えてくる。そしてその画面のゆったりとしたリズムが必死に自分を語っている少女の言葉をその意味以上の表現にしているのです。おそらく七○年代の日本の映画シーンの中でも、最も充実した、ワンシーン、ワンショットを担っているのはそうした二重のドキュメンタリー性です。ここでは、撮られた対象の素晴しさがわれわれの心をとらえるのと同時に、対象に対してなんとか最良のコミュニケーションを成立させたいという気持ちから対象に近づいてゆく監督の心の震えそのものをも記録するのに最もふさわしいショットがまぎれもなくそこにあることで見る者を感動させるのです。あの少女の言葉はまさにあの画面の中でこそ真にドキュメントたりえているわけで、その意味では単なる記録と異なり、撮ることの真実もがそれが出ている画面であると思います。
この『不知火海』、まだ見ておられない方は、是非見ていただきたい。先程、とり上げた『わが街わが青春』も見ていただきたいという気持ちがあります。そんなことはないと思いたいのですが、映画が好きだなんて自認している人が「ドキュメンタリーっていうのは難しいからな」と言って「金を払ってまで見る気はしない」というようなことを、時々、堂々と言ったりします。その時には、私はその人との人間的な関係をひそかに絶つことにしています。また、『プラトーン』はドキュメンタリーとして、ベトナム戦争に対する正しい姿勢が出ているからいい、などとアホなことをいう、そんな人映画好きにはいないと思っていましたら、やはり、いるもんですね。もし、そういう方がいたら、反省して下さいと言うのもなんですけど、そういう気持ちを捨てられ「ドキュメンタリーだからいい」とか「フィクションだからつまらない」とか、そんな気持ちは捨てて下さいと申し上げたい。ごく普通に日本映画のー日本映画にこだわることはないとおもいますがー、ある映画的な高揚感をとらえた画面は、それがフィクションであろうとドキュメンタリーであろうと、同じような感動をもたらすものであり、そのことによって自分の生きている視界が広がるなら、そういった視界を受け入れようじゃないか。そういった方向で映画に接していただきたいといった気持ちがあるわけです。なかにはドキュメンタリーしか見ないという人もいるようですが、これもやはり困るわけです。「何々しか見ない」ということで自分が何かを表現していると思ったりすることほど貧しいことはありません。
このことは、実は劇映画の人たちも、もっともっと考えなければいけない問題です。つまり、自分と対象との間にある、ある関係がそのまま画面に定着されるような劇映画というものが当然あっていいわけです。優れた映画というのは、そういうものを持っているわけです。例えば、ジャン・ルノワールのある種の映画は、そういう意味では、非常にドキュメンタリー的な感じがいたします。逆の意味で、本当はそういうものを全部絶っているはずのブニュエルの映画に見られるドキュメンタリー性というのもあると思います。ドキュメンタリーとフィクションということをあらかじめ存在している映画のジャンルだと思わずにあらゆる優れた映画は必ずそのどちらかであり、その両方でもあるのだということが、私が映画を見る一つの目安になっています。したがって、土本さんの映画も、ごく普通の気持ちで優れた映画として見ております。優れた映画を見た後に自分はどうするかというのは、また別の問題だと思います。水俣に行かれる方がいてもいいかもしれないし、また、それとは全く違う方向に進んでいかれる方がいてもいいかもしれない。あるいは、もっと違った形で自分が映画を撮り始めるという方向に進まれるのもいいかもしれません。とにかく、優れた映画はどこかでドキュメンタリー的であると同時に、フィクション的なものも必ずドキュメンタリーの中に入ってきているということがあるように思います。そうした状況を見ていますと、いまの日本映画の中で、ドキュメンタリー映画の出身の方々が撮っておられる映画のほうが充実しているわけですね。もちろん、僕の好きな日本の若い監督たちも何人かおりますが、どうも、土本さんや小川さんにどこかでかなわないんじゃないかという気がしています。
今、アジア映画は素晴しい
香港映画祭のことに、また、少し触れますと、映画祭の初日、いわばオープニングにあたるものがエリック・ロメールの『緑の光線』、これは日本でも上映されています。この映画が午後七時半の第一回目に上映され、九時半の第二回目の作品が、驚くなかれ、『夢見るように眠りたい』、林海象さんの映画です。十一時半、夜ですけれども『サクリファイス』、つまりタルコフスキーの映画が最後でした。最初がエリック・ロメール、二番目が林海象さん、林海象さんも香港におられまして舞台挨拶をされましたが、エリック・ロメールとタルコアスキーの間にはさまれて、足も震える思いだと語っておられていました。本当に自分は、この二人の映画にはさまれてここにいていいんだろうかというのは、正しいと思います。しかし、映画祭で上映されるにはいい映画だと思いました。こうしたオープニング番組の選択は、香港映画祭のコーディネーターたちの正しい選択眼を示しているのと同時に、日本では絶対に考えつかない組み合わせです。日本では「そんな若造のモノを初日にやるわけにはいかない」、そうなると思うのに、堂々とやる。この映画祭のアジア関係のプログラム・コーディネーターを担当した方は、レオ・モーリンという聡明な映画少女、少女といってもかなりの年になると思いますが、その人が今回、日本から持っていったものの中で一番好きなものは何か、と聞かれて、原一男さんの「ゆきゆきて神軍」だと答えているのです。「これが一番面白かった」「これこそが私が日本から持ってきたかった」と。やはり、国際的な水準で面白いものというと、どうしても、日本映画のいまの状況から見ますと、ドキュメンタリーになってしまう、という一つの現れであるように思いました。事実、これからさまざまなドキュメンタリーが出てきますね。そのドキュメンタリーそのもののほうが劇映画より圧倒的にいいとは言いたくない。両方が競合しながら面白い日本映画の状況を作っていってもらえばいいと思うわけです。香港映画祭に日本のフィクションも出品されていましたが、どうも、最近はアジアの映画の水準が高くなっていて旗色が悪い。
今年は、どういうわけか韓国の映画が出ていませんでしたが、その代わりに台湾の映画が非常に素晴しいわけです。その中で、侯孝賢という日本でも一部、名前が知られていますけれど、その人の最新作「風の中の塵」という、英語題名が「ダスト・イン・ザ・ウインド」というわけですけど、これを見まして本当に驚きました。それこそ、身体がガクガク震えるほど素晴しい映画で、ここ数年来の発見した映画の中で一番すごい映画でした。
それからまた、日本でしばしば上映される機会がありましたが、中国の陳凱歌、『黄色大地』に次ぐ第二作『大閲兵』が上映されまして、天安門前広場で、一年に一度、閲兵式がありますね。それに参加するために三カ月か四カ月、若い人が集まってトレーニングをするという、そのトレーニングの状況だけを撮った、これまた優れた映画です。陽が差していて何もない広い野原に大きなテントがあって、その下に上官たちがいて、その周りに足を四十五度に上げて歩く若者たちがいる。その若者たちがそれぞれ自分のさまざまな過去や執着を持ちパレードに参加している。不思議なことに英語だと『ビッグ・パレード』という題になるわけですが、『大閲兵』というわけです。ちょっと、日本の監督たちが太万打ち出来ないという感じをもちました。いずれもカメラの生々しい記録性がフィルムに定着されているという意味ではドキュメンタリー的な要素の濃い作品だったからです。
『水俣病=その30年目=』の予感
最後に、土本さんの最新の『水俣病=その30年=』ですが、上映時聞が四五分という、学校でも上映してもよい映画になっていますが、その映画の中に、土本さんが今後、絶対にそちらの方向に進んでいくであろうと思う、いくつかの要素がしっかりと刻み込まれていて、ある種の予告編的な機能を持っている映画です。今までの土本さんの「水俣」に関する映画に全く出てこなかった空撮というのが、ヘリコプター撮影によって出てきますし、そのヘリコプターの中に乗っている人、その人と新たに結ばれた土本さんとの関係、それらが、今後の長編の中に生きてくるだろう、そういう予感を、持つことができるわけです。ですから『水俣病=その30年=』は”一つの終わり”といった形ではなく、踏み出すべき新たなステップの第一歩として、この『水俣病=その30年=』を見ていただく。これを予告編とした長編を近い将来に土本さんが完成させるでしょう。
この場合、私は長い映画が好きですから、三、四時間ではなく、五時間くらいの映画を撮っていただきたいという気がします。それを、土本さんに是非、撮っていただいて、日本映画のドキュメンタリー状況の高揚化に役立てていただくと同時に、日本とかそういう国籍の問題は超えて、優れたドキュメンタリー映画、もはや、ドキュメンタリー、フィクションといったような違いを言うには及ばない優れた映画的な試みだということを世界に向けて差し出していただきたい。われわれはみんな非力なもんですが、それを見ることによって支える、見れば必ず支えになるし、思ってもみないコミュニケーションが発展すると信じています。また、土本さんの作品だけでなく、あるいはドキュメンタリー映画以外の作品もみんなで見ることによって、映画作家たちの優れた試みを支えていきたい、そう思っています。見ないであれこれ考えていたのではコミュニケーションは生まれません。