画家の目と映画の目 『毎日新聞』関西 10月22日付 毎日新聞西部本社 <1981年(昭56)>
丸木位里・俊さん夫妻の描く図というと原爆の図と重ねて「地獄絵じゃないのか」などという年配のわけ知りの声もきく。「原爆にせよ水俣にせよ、わたしの実感にピンとこないのよ」などといわれると「ピンときたときはもう死んでるのよ」とよく原爆を例にして切りかえす俊さんの背骨のまっすぐな姿勢を思い浮かべ、それに似た言い方もする。
かつてカナダ水俣病に襲われたオンタリオ州東北部のオジブエ族の若いしゅう長格のトム・キージックは「二ドル五十セント払ってみる恐怖映画より、見た水俣の映画の方が深刻におそろしい」といったのはいつわらない感想であった。しかし、それがカナダの自分の居留地の今日の問題であり、その映画を居留地全員に見せたいとつよくたのんだのである。そしてどこに一番拍手がわいたか、ひきこまれ共感したか。それは川本輝夫さん(患者で運動のリーダー)が社長にむかって「あなたも人の親でしょう。あなたの宗教は何ですか、愛読する本は何ですか、何か座右の銘があるでしょう。それは人を殺せと教えていたんですか」とさしで問いかけるシーンにおいてであった。「私は年をとっても処女でございます。二号でも三号でもいい、私の一生をみて下さい」あるいは「この娘ば嫁にもらえ、あなたのむすこの嫁女にもらい切るか」と言い放ったシーンにおいてであった。ここにはインディアンにも分かる思想と情念が描かれていた。それらは患者じしんの表現である。言ったことば、あらわした考えである。映画はそれを忠実にフィルムにとどめ得ただけである(映画「水俣一揆」)。私の水俣映画の十数年、その前半はこうした記録で精一杯であった。それでも、この記録にはこわさ、気味悪さといった予見をいだき、人間の根源的解放の声が見おわってのこるものだった。
いま水俣はどん底に近い。丸木位里・俊さんが大作に着手された一九七九年末は、私や写真家ユージン・スミス夫妻が記録・表現活動をした時期とは全くちがって「風化」がいわれ、水俣の現実が「出口なし」の状況におちいった時であった。もし水俣の歴史を描くなら、あの七〇年の一株連動や対チッソの果敢な座りこみ闘争を盛りこむことによって、絵巻物的な叙事詩風の絵が描けたかもしれない。それは記録的手法をもってしてもすこしもかまわなかったはずである。しかし、お二人はそうは描かれなかった。水俣の被害者(生類を含む)その群像を克明に数百も描きこまれたのであった。それは「暗く、つらく、むごたらしい」(二人のことば)ものとして完成した。
映画のなかでも位里さんは「あえて暗く描き切った」といわれ、俊さんは「”苦海浄土”という水俣をあらわしたことば(石牟礼道子の著作の題)だけど、苦海ばかりになった」とのべている。事実、絵はまっ黒に墨でぬりつぶされた観がある。私は製作中、俊さんの描く人物、鳥獣にかしゃくなく墨を流していく位里氏をみて、つい突きとばしたくなったぐらいだ。だからその絵を完成後、ディテールまで撮る機会に、墨の下の、つまり初めに描かれた俊さんの絵をすかし出すように撮った。レンズには天平の女のように優雅な娘のかおが描かれており、むくの童子、神の子のような水子のかおが浮き出していた。だが肉眼的にはヘドロのような墨の流れに沈んでいるものであった。
武満徹さんの「海へ」を全編に丸ごとかぶせ、石牟礼さんの詩とその朗読を重ねた。その意図は各表現者の合奏効果による「もうひとつの水俣」を表しだしたかったからだ。更に絵に即していえば、絵を描かれる数ヵ月間に、丸木位里、主には丸木俊さんが折にふれ描きだそうとした「浄土」の気配をよみがえらせたかったからにほかならない。
製作中「水俣のよみがえりとは何か」がつねに関係者のロにのぼった。海か、すなどりか、自然のよみがえりか。映画を撮る私たちも五里霧中であった。だが、単純きわまる結果となった。俊さんのとらえたのはただにひとのよみがえりであった。水俣の胎児性病者の少女たちとの二度目のであいであった。そのスケッチを通し、彼女たちを病んだ人ではなく、その前にむすめであり、女であり、母たるべき女人像を描きだすことに成功したのであった。
「悲しい出来事を、もっともうつくしく描くことができたら」とのべる。その変革に私は不意をつかれ、彼女の描く女人像を撮った。それは水俣病を遠景にしつつも、おんなの生を表していた。
水俣病発見以来二十五年、いまはただ告発のみにとどまらす、いかに共に生きるかという意味で共生のあり方の模索の時期に入ったといわれる。それははっきりとした患者だけでなく、不知火海沿岸の数万人の病むひとびとのかかわりにもつながる。まだ終わることのない水俣病事件にとって今日のペースそのものを丸木夫妻は描かれたと思う。映画が「こわくて、足の重い人」たちにも真の意味で裏切ることのない中身になりえたかどうか、みていただきたいのである。