水俣病その20年 土本典昭簡易版台本
 水俣病その20年 土本典昭簡易版台本

 台詞は「」内、あとナレーション1、始めの字幕(読む) 

 (字幕)人間の歴史のなかで初めて起こった水俣病は、その犠牲となった 167人の死者、1,010 人の認定患者、そして今日3,500 人余におよぶ申請者によって、われわれに明らかにされた。この映画は、まだやむことのない水俣病の明日を思い、その20年をつづったものである。
 1976年 8月

2、日本列島の地図  

 この20年間、日本の工業は奇跡的といわれる成長を続けてきたが、それは技術革新と設備投資によってであり、ひとつ水銀使用の工場群を例にとっても、すでに日本列島を取り囲むことになった。

 画面九州に寄る  

 だがなぜ、有機水銀はここ水俣に初めて出現したのか

3、地図、不知火海 

 その原因のひとつは、不知火海が内海であったことによるといわれる。ここに大量の有機水銀が流された

4、チッソ工場の外景  

 チッソはここで日本で最大の化学工場として、酢酸、アセトアルデヒド、塩化ビニールなどを作り続けてきた。
 
5、水俣湾のパン

 有機水銀はここの酢酸工場から、36年にわたってそのまま湾内に流された。それは自然を汚染し、魚を犯し、やがて人間を倒すにいたった。被害者の多くはこの海とともに暮らしたひとびとである。この映画は4000人をこえる水俣病に苦しむひとびとの、20年にわたる苦難の記録の一端である。

6、メインタイトル (字幕)水俣病-その20年

7、水俣湾の PPM汚染図 (地図の字幕)チッソ水俣工場

 この図はチッソ水俣工場からの水銀の今日の分布状況を見ようとするものである。20年前、実に2,010PPMという水銀値がこの排水口付近で検出されている。

8、濃度 PPM別図示

 熊本県による1973年の調査によっても、水銀は依然として湾のヘドロのなかに残っていることがあきらかになった。20年たった今日、湾内でみるかぎり水銀値は減っている。その分だけ不知火海全体に拡散したという。

9、(8MMフィルム)

 排水口付近の水路 これは約20年前、水俣病発生当時の記録フィルムである。同じころ、大量の魚が海に死んで浮かんだといわれる。
 
 排水口(声・伊藤)
 「満潮の時には海水面が高くなるから、それをポンプで押しだしているんです。こんな風に海水は紫色をしていた」

 ヘドロをすくう  

 土本の声
 「これは貴重な記録ですね」
 「これは軽いもんだからフラフラして」

 証言者伊藤蓮雄氏 
 (字幕 [ 8MMフィルム記録者・ドクトル伊藤(いとう)]
 はじめはふしぎな病気といわれ伝染病か中毒かも分からなかった。 
 
 ドクトル伊藤
 「はじめは脊髄性小児麻痺のような伝染病と思いましたね」

 ( 8MMフィルム)井戸など漁村風景
 「つぎに水があやしいというので井戸の水を調べた。ポリドールがでたというが、ポリドールじゃなかった。とにかくぼくは感染性の疾患と思った」

 猫と干し魚  

 人間より前に猫が狂いはじめた

 女性患者宅、(土本典昭フィルム)
 母親「はっきり覚えているが、猫が海にとびこんで泣くし、ここに上がってきて、狂う。狂いの止まれば餌をやらなければいけない。そのうちに姿が見えなくなった。どこかで死んだろうと思った。
 
 ( 8MMフィルム)狂った猫 
 「やがて自分の子供も狂い死にした。思えば子供もわんわん泣くし死んだ子供の写真同じ症状だと思いました」

 ( 8MM)男の子
 (ドクトル伊藤の声)「眼が見えないんです。この子は漁師の子でね」

 ( 8MM)幼児
 「この子のお母さんは苦労した。この子の看護につきっきりで。なにしろ原因物質が掴めない困った病気だった」

 ( 8MM)幼女    
 この足のもつれや体のバランスが取れないなどの症状が、この病気 その足下 の特徴だった。

 ( 8MM)医師と患者 
 患者は工場の病院で診察を受けた。この水俣病の発見者ドクトル細川はこの病気の特徴として、視野狭窄、運動失調、痙攣、あるいは言葉を喋る能力を失っていることなどを記録した。
 患者の多くは漁民であった。医師たちは魚に疑いを持ったがそれが何によって汚染されているかは分からなかった。

10、地図、年度別発生図 

 この不思議な病気は主に漁村からつぎつぎに発生した。町のひとびとは伝染病として忌み恐れた。この間発見された54名中、実に35%が狂い死んでいった。

11、嵐の湾内と漁民 

 漁民は一時は漁を自粛したが、その生活の基本は変えられなかった 漁民と魚「魚を食べたい」これは海辺の人々の抑えることの出来ない欲望である。そして嵐の日でさえ、不知火海では漁ができた。

12、東京官庁街の俯瞰

 東京にとって水俣はあまりに遠かった。政府がチッソの排水が原因であることを公式発表するまでに13年を要した。その間ただひたすらに高度成長に向けて突き進んできた。

13、ゼッケンをつけた人 

 1973年 3月、ひとつの裁判が終った。
 熊本地裁にて。
 患者グループはチッソを相手に、死者、患者とその家族にたいする慰謝料を求めて、約 4年にわたって法廷で闘った。その判決ははじめてチッソを加害者と法的に決め、患者へに慰謝料の支払いを命じた。この判決によって患者たちははじめて対等に会社と話すきっかけをつかんだのである。
 
14、

 東京駅に着く列車
 水俣から患者たちは東京のチッソ本社にむかった。彼等の携えた要 チッソに向かう患者 求は簡単なものだった。それはチッソはその責任を文書をもって認めること、そして患者の生活と医療に付いて、患者の生きている間確実に保障すること、この二点だった。

15、チッソ首脳と患者の対決 

 (チッソ社長と重役)「私たちは判決に従うつもりですが、あとの一生の生活を補償するよう確約せよというのには応じられない」
 誓約書にいろいろ書いてあるが、会社の体力もあり、できる事を相談させてもらいたい」

 (患者)「これから交渉するということでいいではないか」

 (チッソ社長)「こんなに患者がでたらチッソは倒産するなどと噂されている。あとからでてくる患者にも補償できなかったら困る。だから絶対に、ではなく『出来る限り補償する』ということにしてもらいたい」

 患者、もつれた声で発言する。

 「………(字幕)『言葉の出来ない患者が発言する』…」
 
 (その奥さんが翻訳する)「社長さんよく聞いてください、といっています」「判決も決まったのですから誓約書に判をついてくださいと言っています。もう17年、ろくに食事もできず、魚と御飯を混ぜた猫の食事なようなものを食べています。どうか判をお願いします」

 発言する患者代表 

 患者の言い分は「体も海ももとに戻せ」という一言に尽きた。

 (患者)「そうしてくれたらさっさと水俣にもどります」

16、水俣の海、無人の浜 

 水俣の海辺に漁はなくなった。
 汚染魚を取る漁民 
 ここ水俣湾では 3年前から汚染魚をとってタンクづめにする作業がつづけられている。
 汚染魚
 この魚は今も危険な水銀値を体内にもっている。だが厄介なことに水銀を含む魚か否かは、老練な漁夫にも見分けがつかないのだ。その味も匂いも変わらず、それは新鮮そのものである。だから食べた。そして有機水銀を長年にわたって、その体内に蓄積したのである

17、新聞記事-1 『原因は海のなかの爆薬か』
 これは熊本大学の発表した水銀説にたいするチッソの反論であった。

 新聞記事-2『腐った魚をたべたのが原因』、
 この主張も水銀説を否定する効果をねらって発表され、原因隠しは学者の手でおこなわれた。

18、(8MM) 水俣湾、貝を取る男たち

 原因究明の努力は海の生き物から始められた。
 
 貝を猫に与える (8mm)
 
 「水俣湾の貝を猫に食わせるわけなんです」
 「それを猫が本当に食うんです」
 「すると一週間か10日して発病しこんな涎をながすんです」
 「最初成功したときにはびっくりしました。ドクトル細川もとんで見に来た」

 机のうえの実験猫 (8mm)

 「これは非常によく症状がでている。尻尾をうしろにピンとあげている」
 この猫実験を手はじめに、原因物質を明らかにする実験は繰り換えされた。だがチッソは原因究明には全く協力しなかった。

19、学用フィルムの上映 

 (字幕)「急性激症患者の記録」
 ある女性患者の場合 

 (字幕)「語る熊本大、徳臣晴比古教授」
 ベッドで震える患者 

 徳臣「ああいう痙攣はしばしば起きます。今でもです。興奮状態になるとでます。知らない人が来るとでます。この人は手の震えが強いですね」          

 煙草を吸う患者  

 有機水銀は脳をおかす。とくに選んで視覚、聴覚、運動神経などの 水が飲めない患者 中枢を犯し、言葉を奪い、手足の感覚を失わせる。有機水銀は人間的な能力、つまり人間のとしての機能を奪い尽くす。

 徳臣「この症状から錐体外路じゃないかと疑われたわけです」

 病室の男性患者   

 徳臣「これは浜元惣八さんの入院時の状態ですね、まだこういう状態ですけれども」 

 煙草を吸おうとする患者

 土本の声「なんか一夜にして体の自由が聞かなくなったという」
 
 徳臣「はじめはこういう状態だったが、間のなく動けなくなった」

 水をのもうとする「これは運動失調の非常に極端な状態ですね。水が飲めないんですから」

 輾転反側する患者 

 徳臣「これはもう意識がないですね。亡くなられる直前でしょう」

 発病して50日目に彼は死んだ。

 徳臣「病気の出始めのころ、こういう人たちが水俣の伝染病棟に収容されていた。ほとんどの人がこういう状態でびっくりした。夏、暑い病室のなかでのたうち回って、ベッドから落ちて怪我したりした」

 若い女性患者

 徳臣「この人は入院しなかった。二年のちに行ったときの状態がこれで 寝ている患者です。普通では見られない病状ですね。右手はいつも動いています。足腰から下はああいう屈曲、強直状態です。非常に栄養も衰えていた」

20、病理、脳細胞のUP

 武内先生インタビュー

 土本の声「脳細胞の脱落というのは医学的救済の方法は無いのか」

 ドクトル武内忠男「神経細胞が破壊されたら再生しない。ほかの臓器の細胞と違う。まあ腎臓とか肝臓だったらある程度細胞が死んでも再生できるが、 男子とその脳標本 しかし脳細胞はどうにもならない」

 土本の声「これは今後医学、薬学がすすんでも、ですか?」

 武内「そう、もうどうにもならない。進んでも!それは悲惨というほかないですね」
 
21、チッソ本社交渉会場

 胎児性患者が登場 
 「署名をお願いします」
 「そう言っているのが分からないか」
 女性患者詰め寄る

 浜元「なあ水俣病は完全にチッソのせいでしたと認めて、悪かったと一言いって、手を打っていれば、海も汚れん、会社にも良い、患者もでん、水俣を救っていたですよ。それをどうしてあの手この手で断ってきた。患者を騙しつづけてきたか!
 これからも何万人の患者がでるかもしれん。医者で患者の体が良くなるものなら、印鑑もいらない、金もいらない。親の命がほしい、子供の命が欲しい、健康な体が欲しい。あんたらは嫁ごも子供ももっているか。人間はなんのために生まれてきたとおもうか!
 人間はなんのために生まれてきたとおもうか!」

22、漁船のデモ・水俣湾 

 水俣病の被害者となった漁民は一方その漁業をも奪われることになった。チッソが原因は工場ではないと否定しつづけるなかで、彼等は汚される海を見つめてきた。そして焦点をチッソあてて攻撃をくりかえした。

 新聞記事「漁民闘争」

 1959年、3000人の漁民が工場に対策を迫った。同じ時期、工場は内部の猫実験で、病気の原因が工場排水にあることを知っていた。その事実を隠したまま漁民に反撃していた。

 新聞記事「鉄柵の工場正門」   

 患者に初めて見舞金がチッソから支給されたが、死者に 833$、大人患者に年 240$、こどもには83$という低額であった。しかも『将来原因が工場にあることが分かっても、あらたな補償には応じないと』いう一項目をいれた。これで患者は以後、沈黙を強いられた。

 工場に近い丘の上 工場の労働者

(字幕)工場労働者の証言…

 山下「工場が犯人と知っていたが、それを他に伝えたいが、企業の秘密をあきらかにすれば馘首(くび)になるということで、言えなかった」

 有機水銀をだした設備(字幕に合わせ)

 土本「大量に水銀を流したのは?」

 山下「塔のすぐ下のみぞに流し込むわけです。これが最後まで動いていたアセトアルデヒド工場です」

 写真-「サーキュレーター」 

 一方、工場はサーキュレーターを作り、水銀を取り除くと言明した。海への工場の排水口 1960年に入り、医学者は水俣病の発生は止んだと発表した。こうして患者は以後10年、全く忘れ去られた。

 堆積するヘドロ  

 チッソはその後も大量生産を続けた。だが水銀はサーキュレーターでは取り除かれなかった。そして延べ 600トンの水銀が海に流されたと言われている。
          
 水銀ヘドロに石  

 今日まで、このヘドロのなかの水銀を処理する方法は見つかっていない。

 埋め立て地と水俣川 

 会社は水俣の海を買収し、廃棄物で埋め立て地を作った、ここにも140PPMを超える水銀が堆積し、たえず海ににじみでている。これがたんなる過失と呼べるであろうか。今日、患者がチッソを殺人犯罪者と呼ぶのは誤りだろうか。          

23、疫学-ドクトル喜田村正次氏の分析、食物連鎖の図を示して解説

 (字幕)「食物連鎖による水銀の濃縮」

 喜多村「ここにまず藻類のプランクトンがある。それを藻食性の昆虫が食べる。この藻食性の昆虫を食虫性の昆虫がやはり食べる。これを食べる魚がある。その魚をまた食べる魚がある。こうしてより小さい生物をより大きな生物が順次食っている。丁度鎖の輪のように繋がっているんで食物連鎖というんですけど、実際メチル水銀のように体表面をつうじてもよく入る、鰓呼吸を通じても非常によくはいるとそれぞれ六段階にかなりの濃縮比ではいるわけです」

 土本「どのくらいの濃縮比で?」

 喜多村「これ一つ一つに3000倍くらい入る。メチル水銀は生物の腸によく吸収される。ですからこの藻食性の昆虫は3000倍に濃縮された藻類を食べて二段濃縮となる。これを食べる食虫性の昆虫がまた濃縮する。だから三段濃縮、これが魚を通じ、順次四段、五段、六段、極端にいうと七段濃縮となる。濃縮比はうなぎのぼりに上がっていくんですね」          

24、猿のスライドをつかうドクトル白木博次氏 病理学実験 

 白木「私の研究は“猿における全身ラジオオートグラフ”という実験ですが、それは放射能を与えた水銀を猿に注射します」

 猿の断面-1
 
 白木「これは一時間後のものです」

 黒い部分が水銀の濃度を示している。

 白木「まず脳と脊髄にうっすらと有機水銀が入り込んでいることが分かるが一番高い放射能を示すのは肝臓、舌の筋肉、それから背骨の骨髄です。有機水銀は注射するとすぐに赤血球に瞬間的にくっつきますので濃く見えます」

 猿の断面-2   

 白木「これはやはり有機水銀を一回注射して八日たったところ、私も驚いたが脳と脊髄に、一時間後のものと違ってはるかに高い値を示している。肝臓も依然として高いし、腎臓もそうですけど、脊髄のなかの放射能、腹部の大血管のなかの放射能は低くなっている。その分、脳のなかに入っていったことをしめしている。その頭部こうして見ると放射能がたくさん溜まっているところと、そうでないところがあることが分る。ここ後頭葉が一番高い。ここが目ですね。ここから光が入る、これが網膜です。光は後頭葉で感じる訳ですが、そこが一番高い放射能を示している、水俣病の場合には視覚の最高中枢が犯される。だから視野狭窄が起きるわけですが、こうやって見ると八日の時点では有機水銀はここに集中していることが分かります」

 新聞(内容を台詞に)「これは生まれながら水俣病になった子供を報じた記事である」

25、試写室でのドクトル原田正純氏(臨床)

 男子患者-1

 原田「このフィルムを撮った時代は、水俣病の発生は終ったと言われていた時期です。水俣病が工場からでた有機水銀中毒であることは明らかになっていたが、残った問題として水俣病の多発地帯に原因不明の病気をもつ子供たちがたくさん発生していることがわかっていた。で、この子供たちが胎盤の中で起こった有機水銀中毒かどうかを解決するのが水俣病問題の中では社会的にも医学的にも、一番大きな問題だったわけです」                    

 ずらりと並んだ患者

 原田「まあ市立病院に集まってもらった。最初に気付いたことは患者の症状がお互いに似ている。これが胎児性水俣病であることを実証していく上で重要なことだった」

 女子患者-1 口許が笑う

 原田「これは上村智子ちゃん、言葉は殆どない。この当時六つだが光にたいして反応がなかった。寝たっきりで足は変形している。それから体重は14KGぐらいだった。ああして首は座らない。ああいう笑いは“強迫笑い”というわけです」

 男子患者-2   

 原田「これは半永一光君。漁師の子でお父さんも水俣病です。よだれが出て、斜視がある。手足の障害が強い」

 歩こうとする

 原田「支えてやるとなんとか動こうとする意志ははたらくが、足の変形が強くて引きずってしまう」

 女子患者-2

 原田「これは茂道の漁師の娘で中村千鶴ちゃん。でいま手をやったら口を開いたり、掴んだりするのは、自分の意志で掴むんではなくて、新生児-生まれたての赤ん坊に見られる反応です。原始反射と言います。ということはつまり脳の発達が新生児の段階でとまっている…」 

 紐を結ぶ女子患者 

 原田「その一番軽い例といっても日常生活に大きな障害がある」

 靴をはき歩く患者 

 原田「靴を履いたりするにも時間が掛かる。動けば動くで事故が危険でひとときも目が離せない」

 子供と母親    

 原田「一般に胎児性の母親は自分で食べた水銀を胎盤を通して子供のなかに蓄積してしまったために、母親には大した症状を残さなくても、子供には脳性小児麻痺や知能の遅れを見ることになる」

 語る原田氏 

 「まあ常識的に考えると、胎盤にはプラツェンタ・バリアというのがあって、外からの毒物をそこでシャット・アウトしてくれるもんだというのが一般的な考えだった。それから子供にあれだけの影響を及ぼすような水銀をもし食っておるなら、その母親にもっとひどい症状がでてもいいんじゃないかと考えた」

 子供と母親    

 原田「ところが患者の母親たちは『この子がこうなった原因は他に何も 語る原田氏 ない。自分たちは魚を沢山食べた。私たちの症状が軽いのは、お腹のなかで、水銀をこの子が全部吸い取ってくれたんじゃないか』という。僕らにとってみればそれは実証されていないし、非科学的なことだということになるが、その後の動物実験をふくめた研究によって、確かに直観的に母親たちが『この子は水銀中毒だ』と言ったのは正しかった。

26、スライドで語る   

 (字幕)「ねずみの全身オートラジオグラフ」

 白木博次氏(実験)

 スライド-1

 白木「この場合は無機の水銀で有機水銀ではない。その場合はここに胎児が四匹並んでいますが、無機水銀は胎盤、子宮の壁には沢山入っていますが胎児のなかには殆どはいっていない。ごくうっすらとは進入しますが殆どはいっていない。」

 スライド-2   

 白木「ところが有機水銀を注射した場合には胎盤や子宮の壁にもありますが、同時に胎児に有機水銀が入っていることがわかる。大きくして胎児のUP見ましょう。これで見ると有機水銀は心臓、肝臓にもありますが、ここ神経、大脳、延髄、これが脊髄ですが見事に進入している」

27、こどもを診察する 考えあぐねる氏

 この子は胎児性水俣病と疑われている。しかし脳性小児麻痺と区別 原田正純氏 できないとして、認定審査会で保留され救済されていない一人であるドクトル原田氏は親の生活歴、職業、その地域の食生活、つまり妊娠前後に魚をどのくらい食べたか、その疫学的データを記録する。患者多発地帯に生まれ育ったこのような子供たちを、どう診断するか、既成の医学の理論でが解決できないでいる。だがこのような例は多く、母親は妊娠の度に不安を抱き続けているのが現状である。

28、チッソ社長につめよる患者の母親 

 釜「私はどうなってもいい。子供だけ。私には頼るものは子供だけ。その子供をあなたは殺そうとしているではないか。あなたはそれでも人間ですか。あなたに人間の誠意があったら答えなさい!」

29、地図・年次別発生図 線画

 チッソは1968年にアセトアルデヒドの生産を停止した。
 その後裁判闘争を始めとする闘いの中から、潜在していた患者が浮かび上がってきた。今日申請者三千数百人。その殆どが慢性型患者で多様な症状を訴えている。

30、歩く患者、足下が安定しない。

 この患者は一家全員、水俣病のなかで、ひとり元気で15年間、あらゆる労働に従い、安定した生活を築いてきた。それが一夜にして発病した。

 その眼球テスト

 眼球運動のテストによっても、目の動きがなめらかでないことが分った。視野狭窄、構音 障害、運動失調などすべてが揃った典型的な症状である。だが血中・毛髪水銀量はほとんど平常の人と変わりなかった。                 

 歩く患者    
 
 過去に体内に侵入した水銀が、いつその毒性をあらわにするか分らない。この事実は水俣のひとびとにあらためて衝撃を与えた。そして今日、水俣病は脳だけでなく、全身性の疾患と指摘され、その病像はいまだ明らかにされていない。

31、交渉現場、患者代表抗議する

 川本「松本さんは水俣病で殺されたんだ」

 ある婦人は水俣病と認定される前に死亡した。チッソは死者は水俣病と認めないとの立場を取っていた。          

 川本「被害者の方からお願いするという事があるか。それがチッソの常識か?それが誠意が、それが国際的な公害補償のパターンか!」   
 
 チッソ首脳    

 久我「ですから認定があれば水俣病ですが、その補償の基準もそれぞれ違います」          
 チッソは水俣病とは認定されてこそ患者であり、その認定基準によってもいろいろの差があるべきだという。 

 机上詰め寄る代表 

 川本「あのね、1969年から患者をさがした。30何名といたが半数は断った『見苦しいとか』『金ほしさといわれる』とかいって。こうして沢山のひとが断った」
 
 聞く社長のUP  

 患者の恨みにみちた歳月が一気にここで吹き出している。

32、事件経過・恨みの旗 患者の列 

 患者は死者を弔うにも、一体誰に殺されたのか。怒りのやり場のない時期が15年も続いた。政府が言明したのちも、チッソは依然として責任を認めなかった。

 水俣市でのデモ 

 患者とその肉親たちは自ら病苦にむち打って裁判に、デモに立ち上がらなければならなかった。水俣市はチッソの城下町である。患者はいつも孤立することを決意して行動するほかなかった。

 チッソ株主総会、

 ときに株主総会に出席して発言の機会を得ようとした。1970年11月。こうした全国的な支援の渦のなかで、わずかに社長に抗議の声を放つことが出来たのである。

 訴える女性患者          

 鉄格子と座り込み 

 ある時は東京のチッソ本社前に一年有余の座り込み闘争を続け、訴えた。この鉄の扉がチッソの回答だった。こうした闘いの中で、常に患者と支援者が逮捕され、起訴された。だがこうした歴史が、水俣病患者を日本公害闘争の最前線に立たせたのである。

 抗議する代表   

 川本「死んだ患者に補償金をだすのか出さないのか、答えはどちらだ!」静かなる抗議「…禅宗は何を教えているですか。奥さんも禅宗ですか?」

 島田「家内はカトリック」

 島田「カトリックですか。カトリックと禅宗の教えとどこに違いがありますか。禅宗の教えとカトリックの教えを聞いてどうですか。子供さんも三人か四人おられると聞いた。小崎さん松本もあなたと同じように父じゃった。そんなに違っていいですか、日本全国の同じ父と母が。ねえ社長。そんなに違いがあっていいですか。同じ幸せであるべき父と母がそんなに変わっていていいですか」

33、明水園、食事中の子供たち(水俣病施設)

 胎児性患者たちはそれぞれに青年期を迎えた。水俣病では目立って死産、流産が多かった。生きて生まれたこの人たちは強い生命力を持っていたからだと医師はいう。

 介護を受ける子ら 

 ともすればこのひとびとは忘れられがちである。まして不知火海沿岸にうまれ、診断もされずにいる子供たちのことは、医学の霧の彼方に放置されている。

 一人食べさせられる患者

 この子たちは、生き、存在することだけで、公害を生んだ現代の文明と社会を問うているのである。

34、不知火海の壺網漁 魚やタコなど。

 不知火海に漁はいまも続いている。周辺漁村には水俣病の怖さも、汚染の事実も知らされていない。まして禁止の措置もない。もし禁止すれば、沿岸10万のひとびとの生活を政府が保証しなければならなくなるからだ。

 不知火海のうたせ船 不知火海のひとびとに「なぜ魚を食べるのか」と人はよくたづねる。
 確かに彼等はチッソや政府に抗議しつつも、魚を食べる。なぜなら海と共に生きてきたひとびとだからだ。この問いは「あなたは何故海辺に生まれてきたのか」と聞くにひとしい。

35、夕景の水俣湾

 水俣病は終っていない。環境汚染はそっくりそのまま水俣に残っているからだ。同時に水俣のひとびとの体験も歴史も、また私たちに残されているのだ。

 スタッフタイトル